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面白庭小噺(ゴミ箱)

 多かれ少なかれ誰にでも悩みというのはあるだろう。振り返ってみれば些細に思われることも、その当時は胸をかきむしりたくなるほど苦しく感じていたりするものである。そしてはたから見れば大したことに思えなくても、本人にとっては大問題に感じるということも少なくない。だから他人の悩みをとやかく言うのはナンセンスなのだ。

 そして我が息子も今、人生最大の危機に陥っているようだ。

 彼は昨日、愛しのエリちゃんにフラレてしまったらしい。理由は「ちっちゃすぎるから」。同級生なのにもかかわらず、エリちゃんの身長は息子の1.5倍ある。私は息子を可哀想だと思ったが、エリちゃんの味方にならざるを得なかった。あと数年、息子の情熱が迸る時期が先であったなら。

 私は唇をかみしめ俯いて帰宅した息子を見て、わけも分からずとにかく抱きしめた。彼はそこで緊張の糸が切れ泣き出して私にいきさつを教えてくれた。小学四年生で失恋を経験した息子に嫉妬を抱きつつ(私の初めての失恋は25歳のクリスマスのことだった)私は親として何が出来るか考えた。助言をするにも私では力不足と認めるより仕方がない。

 そのとき、私の目に新聞広告の一つが飛び込んできた。

――あなたのお悩み解決します。高田馬場の母――

 考えるより動け。私は次の日、息子を連れてその“母”を訪ねていた。彼女は高田馬場駅からほど近い書店のそばに“相談所”を設けていた。ラーメン屋台に似た移動式の相談所は書店の裏道にひっそり構えられていて、高田馬場と白抜きされた暖簾がかかっていて中の様子はわからなかった。見るからに怪しい雰囲気であり、場所を間違えたかと広告を確認したけれどたしかにここである。怖気づく私にしびれを切らしたように息子のほうが私の手を引きその暖簾をくぐった。

「いらっしゃい。今日は何のご相談ですか」

 “相談所”に入った途端、”母”が私たちに話しかけてきたもので私は驚いて危うく悲鳴を上げるところだった。しかしその声の主がどこにでもいそうな老婆であることに気づいて私はすんでのところでそれを飲み込んだ。“母”はとても人の良さそうな普通の老婆だった。加えて“相談所”の内装も田舎にあるようなさびれたスナック、といった様子で、私は懐かしさすら感じてしまうほどであった。

「ああ。今日はお坊ちゃんの相談なんだねえ。どうしたんだい」

 ”母”はカウンター(こう言っても構うまい)からひょっこり頭の出た息子を見つけると目を細めて言った。息子は面食らいもじもじして目を逸らしてしまう。老婆は微笑んで奥から瓶入りのラムネを取り出して息子に勧めた。不思議そうにラムネを見つめる息子の前で彼女はビー玉を落としラムネを開封して見せた。息子が恐る恐る手を出したタイミングで私は礼を言い、彼に代わって悩みを相談した。息子はラムネを飲み飲み時折頷きそれを聞いている。

 説明を終えたところで“母”はふうと一息ついて息子の方に向き直った。息子ももう彼女に恐怖心はないようで、カウンターの上に置いた手を彼女の両手で包み込まれても落ち着いた様子で彼女と向き合っていた。

「お父さんの言うことは本当かい。私にはね、あんたは別のことで悩んでいるように感じられるんだよ。もしあんたが話してもいいっていうんならそっちを私に教えてくれないかね」

 こくりと肯定した息子に私は驚いた。エリちゃんに失恋したことを悩んでいたのではなかったのか。
 その後息子はたしかに最初は好きな女の子にフラレてしまったことが辛かったのだが、時間が経つにつれてその子のことを考えるとむかむかする自分に気づいた。その気持ちはその子なんていなくなってしまえばいいと思うくらいになっている。それが苦しいのだという。自分は人殺しと同じ気持ちになっているのだと。

「僕はゴミなんです」

 そう締めくくった息子は空気が抜けた風船のように肩を落として小さくなった。私は私で息子の口から出たその言葉に衝撃を受けて、息子が自分を表現する言葉が“ゴミ”だったことに何か親の責任みたいなことを感じて俯かずにはいられなかった。“母”は
「なんだいそんなこと」
と言ってごそごそと後ろからぽんと何かを取り出して私たちの前に置いた。それは百均で売っているような小さなゴミ箱だった。

「じゃああんた、これに入れるかい。入れるならあんたはゴミだと私も認めてあげるよ。さあ試してご覧な」

 もちろん高さ20センチほどのゴミ箱に息子が入れるはずがない。だが、たとえ相手が小学四年生の子供だとしてもこんなことで納得できるはずがない。私はすっと頭が冷静になっていくのを感じた。よくよく考えてみればこんな怪しい場所で相談を受ける老婆なんて信じるべきではないのだ。何かとてもすごいことをしたかのようにこちらをちらりちらりと見る“母”が急に胡散臭く見えてきて、私は息子の手を取り出ていこうとした。しかし、やはり先んじたのは息子の方だった。

 彼は私を置いてどこかへ走り去ってしまった。私は急いで外へ出たのだが息子の小さな体は高田馬場の人混みに紛れて見えなくなってしまった。私は追いかけようとした。のだがぐっと腕を掴まれてつんのめってしまう。“母”が私を引き止めたのだった。想像以上に彼女の力は強く、眼差しは刺すようだった。

「信じて待ってあげなさい」

 そもそもあなたが信じられないのだ、という勇気はなく、私はへなへなと椅子に腰を下ろした。息子も道のわからない年齢ではないことを頼みに私は五分だけここに留まることにした。五分を過ぎたらこの老婆を蹴飛ばしてでも探しに行こうと決めた。

 結局数分もしないうちに息子は帰ってきた。ただ、無事ではない。

 彼はゴミになって帰ってきた。

 どこから持ってきたのか、ポリバケツを抱えて帰ってきた彼は中身を外へ取り出し、そして私と“母”の前ですっぽりと頭まで中に入り叫んだ。

「ほら、やっぱり僕はゴミなんだ」

 私と“母”は顔を見合わせ声を上げて笑った。なんならハイタッチもした。安心したせいだろうか、私はこの”高田馬場の母”は間違いなくインチキだと思ったが、なんだか相談料を払ってもいい気がし始めていた。息子は僕らの笑うことが理解できず困惑しつつこちらを睨んでいる。高田馬場の普通の老婆が笑い涙を指ですくい取りながら言う。

「ああ、もうあんたはゴミだと私も認めるよ。でもねえ、そこまでしてゴミになろうとするあんたが私は気に入ったよ。あんたのお父さんもきっと同じ気持ちさ。エリちゃんは惜しい男をフッたもんさね」

 どうして“母”がエリちゃんの名前を知っていたのかはわからない。とにかく元気になって帰った私たちは冗談含め妻に“高田馬場の母”の話をした。実在を疑う妻に新聞広告を見せようとした私はそれが懐から失くなっていることに気づいた。後日私はあのおばあちゃんにもう一度会いたくなって高田馬場を訪れたのだが“相談所”は姿を消していた。その場所には一匹の老猫が毛づくろいをしているだけだった。

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 短くするつもりが字数がかさみました。物語が広がっていくのがなかなか止まらず。まあいいか。

※小噺はひとつのマガジンにまとめていこうと思っていますのでよろしければご利用ください。

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