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気をつけて帰れな。ん。

前置き

 実家から家に帰るとき、祖父が言う。あぐらを組んで背中をまん丸にして、ちょっと微笑んで。

「気をつけて帰れな。ん」

 セリフはいつも同じ。それに私が応えて何か言ったってもうほとんど聞こえていない。私の声が通らなくって小さいからというのもあるけれど。でもそれでいい。私も祖父からそれ以上の返事は期待していない。一言で、伝えたいことは十分私の中に響いてくるから。

生き抜いてきた人

 祖父はちょうど終戦間際にこの世に生まれた。彼の父、私の曽祖父はだからシベリア抑留も経験したらしい。実家には戦争経験者に贈られるのか、総理大臣名義の賞状が飾られている。曽祖父は私の出生前に失くなっていてモノクロ写真で面影を知ることしか出来なかったが、その妻である曾祖母とは何年か一緒に暮らしたことがある。彼女から聞く戦争経験は子供ながら壮絶に感じ、戦争だけはしたくないとその時から切実に思ったことを思い出す。

 祖父はつまり、戦後から現代までを生き抜いてきた人である。配給制を経験し、ヒエやアワを混ぜたご飯ばかりだったなんて教科書で見た記述をリアルで乗り越えてきたのだ。戦後復興、朝鮮戦争、55年体制、高度経済成長、冷戦、ベトナム戦争、沖縄返還、バブル崩壊、冷戦終結……。もはや歴史として扱われる激動の時代をその身で受け止めてきた、それは信じられない思いがするほどだ。

 祖父はその中で農業学校へ進学し、実家の仕事を手伝うところから始めて出稼ぎでタクシーの運転手をしたり企業人になったり。とにかく自分と家族を養っていくためにやれることは何でもやってきた。だから実家にはいろんな道具や機械があって、生活に関わることならほとんど祖父一人で出来てしまう。それもこれも、他に頼むとお金がかかるという倹約を常に考えて生きてきた祖父の物的、知的財産なのだ。祖父は「なんでも屋」と誇らしげに言う。

縛る人

 私が祖父と暮らすようになったのは母が父と離縁して実家に戻ってきてからだった。それまでも母の帰省についてきて会うことはあり、その際は世のおじいちゃんおばあちゃんの例に漏れずただただ優しく私たち兄妹を甘やかしてくれる人であった。しかし、一緒に暮らすことが決まってから彼の様子は一変したのである。

 食事の時の「食べるときは正座」「祖父がいただきますと言ってから食べ始める」「箸の持ち方、食事のマナーは出来て当然」などに始まって、とにかく礼儀と他人様に迷惑をかけないことを徹底的に叩き込まれた。その厳格さは度を超えることも多々あって、声を荒げることや手を上げることも少なくなかった。一度弟が手持ち花火で雑草に火をつけようとふざけたとき、彼は祖父に殴られ数メートル吹っ飛んだことは今になっても語り草である。
 そんな祖父に対して祖母や母がストップをかけることがあると、彼はそれすら振り切って自分の意志を通そうとした。だから祖父と祖母たちの口論も日常茶飯事だった。

 祖父いわく「父親がいないから、あそこの子供はだらしがないんだと言われないようにしなければいけない」ということらしい。祖父は私たちの父親として厳しく接しなければならないと決めて母の実家入りを受け入れたのだった。
 一家の主として世間体を考えていた一面はもちろん少なくなかっただろうが、厳しさの裏には私たちの将来を案ずる気持ちがあったのは間違いない。好かれる祖父という立場を捨て置いて、彼は憎まれる仮の父親という役目を選び取ったのである。そう容易に出来ることではないと私は思う。

縛れなくなった人

 そんな祖父も今や後期高齢者。高熱を出したり腹痛で数週間入院することが年に数回あり、丈夫な体とはとても言えない。腰は曲がり、脚は生白く見るたびに細くなっている。どうしたって勝てなかった腕相撲、今なら細い腕を折ってしまいそうでやることすら叶わない。怒鳴り声はまだ出せてもそこに力がない。従わせる、縛る実力がもう残っていないのだ。

 堅実を重んじる祖父は決して私の今の生き方を全肯定しないだろう。帰るたびに「自衛隊はどうだ」と勧められるのだから。「考えておく」笑って誤魔化してそれで済んでしまう今。もう少し祖父が若くて強かったなら、自衛隊はともかく、作家になるなどと言ってげんこつを食うことにならなかったとも言えない。それは幸運のようで、どこか寂しい。老いて許さざるを得なくなったというのではなくて、それだけ言うなら仕方ないというように祖父を説得したかった。ドヤ顔で反対した祖父の待つ実家に帰るなんてことをしてみたかった。

永久不滅の人

 つい先日、祖父と一緒に車のタイヤ交換をした。普段ほとんど話さない祖父もこういうときは饒舌に、とまではいかなくとも口を開く回数が増える。これだけはやっていけないという注意点、道具の使い方、それぞれの道具の特徴、空気圧、ねじの締め方などその知識は私にとってこの上なく貴重に思える。実生活の知識は教科書にほとんど載っていなかったから。

 振り返ってみれば「したかった」なんて過去の願望風に書いてはみたものの、まだまだ祖父は健在だ。力がない、腰が曲がってるがなんだ。私は祖父の強さにいつになったら追いつけるだろうと思案に暮れているじゃあないか。戦後を生き抜いてきた祖父はやはり永久不滅の人に思えてならない。そこに少しでも抗えるように、私は今日も筆を執ろう。

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