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嘘から出た真

前置き

 つい数日前の3月31日、私の恩師の一人であるT先生が定年退職した。教員として働いた年月は30年を超えるという。私が生まれる前から一つの仕事に取り組んできたということに驚き感心してしまう。しかも教育という最も変化と多彩な世界の中で、である。その月日と関わってきた数多くの生徒のうちほんの一人に過ぎない私、僭越ながら感謝しお疲れさまでしたと申し上げたい。

T先生

 女性としては高身長で、大きな目とぐっと張った眉間に迫力のある先生であった。口はほとんど引き結ばれていて、たまに笑うとよく通る深みある女声を響かせて白い歯がこぼれる。どんなに大きな声で笑っても品を失うことはない、修道女のような自らを律する清らかさを常に纏おうとする人だった。

 長い髪を結い、前髪に垂らす一部を除いては一つにまとめられそれが下ろされていたことは見たことがなかったように思う。いつも裾が廊下につきそうなロングスカートを履いていて、バンドを交錯させたようなおしゃれな内履きサンダルは歩くごとにコツコツと廊下を叩き、私たち生徒はその音を頼りに着席した。すっと背筋を伸ばし教材を胸の前に抱えて教室へやってくるT先生は緊張感も携えてきていたのだ。

 そして先生は当時の先生の中では固い、つまり厳しい印象の強い方で他の先生にも一目置かれていたように思う。同志として教員団に身を置きながら不羈独立、馴れ合いには決して落ちることのない強い人だった。

白庭ヨウと

 私にとってT先生は強くカッコいい存在であると同時に、怖いと思う人でもあった。他の先生が「仕方ない」と許すところでT先生は許さなかった。宿題をきちんと提出できなければ雷が落ちたし、授業で私語が飛び交っていたりすると怒鳴り声が轟いた。だから私たちは後ろめたいことがあると出来る限りT先生を避けて別の“物分りの良い”先生に報告した。

 しかしどうしてもT先生を避けられない場合がある。自分たちのクラスで起きた問題は担任であるT先生に相談しないわけにはいかない。地雷の設置された危険区域に自ら足を踏み入れる無力感を抱えて職員室の戸をノックする絶望に何度ため息をついたことだろう。

 今でも覚えている一つのエピソードがある。

 私の中学校には課題曲と自由曲の合唱の出来栄えを競う合唱コンクールという年間行事があった。時は中学三年時、コンクールに向けて私たちは毎放課後に練習を重ねていた。もちろんその場にはT先生がいた。前年学年で一番の銀賞を獲得していた私たちのクラスは最終学年であるその年、金賞受賞を狙っていた。

 中学生というのは思春期真っ只中の難しい年頃で、自意識過剰というのか、目立つことや人と異なることに羞恥や嫌悪感を持つ事が多いようだ。特に勉強や合唱のようなスポーツと比べて“イケてない”分野ではその傾向がより強い。ひとり親家庭であることを自認し、その頃にはそれが自分のアイデンティティとすら思い込み始めていた私にとって人と異なることは当たり前だったのだろう、合唱に一生懸命取り組むことは苦でなかったのだが、男子にはダサく思えたようで声量が出ていなかった。

 「努力は人を裏切らない」が座右の銘であるT先生にはもちろんその状況が我慢ならない。練習の度に先生の苛立ちは火を見るより明らかになって、本番前二週間を切ったあたりだっただろうか、遂に爆発した。

「もう練習なんてやめてしまえ」

という趣旨の話をして練習のために割いた授業一時間分、だんまりを決め込んでしまったのである。50分間私たちは教卓で仁王立ちするT先生の怒りを後頭部にひりひりと感じながらうつむき机を見つめ続けた。隣の教室から漏れ聞こえる合唱練習の声と真上からギシギシガガガガ聞こえる二階の二年生の物音、それからひっそりしたクラスのみんなの呼吸音、衣擦れ、咳払い。“早く機嫌直してもらおう”。あのときほどクラスメートの心が一つになった時間はなかったかもしれない。

 その後私たちは代表者を選出し、職員室で腕組みして眉間にしわを寄せている先生に直談判、練習を再開、音程はともかく他のクラスを圧倒する声量で金賞を勝ち取った。

本音を言えば

 いつからなのか、私は先生に好意を受ける存在になっていたように思う。その類のアンテナ感度は良いほうだと自認しているので勘違いでないと思うのだが。大人に取り入ることを身につけてきた(あるいは天性の才能なのかもしれないが)私は素直で無邪気な性格を印象づけいい成績を取ることによってそのポジションを手に入れた。

 だから今、先生は今の私を見て違和感を覚えているのではないかと思っている。先生になりたいと言っていた教え子はどうレールを外れて未だに夢みたいなことを言っているのか。ふらふらと何をしているのか分からない大人になってしまったのか。SNSでも嘘をつくことが出来るが万人を騙す嘘はつくことが出来ない。SNSで私を見つけて友達申請してくれた先生は先生向け以外の投稿も知ってしまった。もはや取り繕う術はない。

 努力を求める先生に努力で応えた私は認めてくれる人がいなくなってよく足が止まるようになってしまった。点数が出るわけでもない問題に取り組んで、なんとなく自分の答えを提出して、解答例も出ないまま次の問題に取り組む毎日は、自分が前進しているのか停滞しているのかはたまた後退しているのかも分からない無為の日々に思われて頭をかきむしりたくなる。投げ出すことも多い。

 先生の定年退職はSNSを通じて知った。最終出勤日を振り返った先生の投稿を見て私は一つ驚いたことがある。先生は教師という職業に自分は向いていないと思ったことが何度もあった、というのである。いつも堂々と私たちを叱り飛ばしていたT先生にまさか教師は向いていないと思う瞬間があったとは。それを見たときに私の心はあの中学生時代に時を遡っていた。

 もしかしたら、先生も自らを偽っていたのかもしれない。いや、きっと偽っていたのだ。

 そういう確信が私の中で生じて記憶の色と形を塗り替えていった。叱ること、注意すること、避けられること、嫌われたかもしれないと思うこと、それは決して楽なことではない。きっとほとんどの人がそれを避けて笑いたくないところで笑ったり、仕方ないと誤魔化す。そうして自分を偽ることも容易でないけれど、先生はさらに踏み込んで嫌われるかもしれない道を選んだ。自分を偽って好かれることを選ばず、自分を偽って嫌われることを選んだ。一番苦しい道を選び取った。

 何のために?

 自分の信念のために。

 そして生徒の将来のために。

嘘から出た真

 先生は時折兆す苦しさに「私は平気だ」と嘘をついて信念と生徒の将来のためにこれまで走ってきた。本当に求めている真のために嘘を重ねてきたのかもしれない。

 私もまた無意識にそうであったとするならば、私の求める真とは何なのだろうか。そこに私は近づいているのか。あのとき、そして今重ねる偽りにも意味があるのか。

 嘘から出た真、いやこの場合は、嘘で出来た真だろうか。それはとどのつまり形を持たない虚像なのか。私はT先生の生き様を見て、そんなことはない、と強く思わずにはいられない。

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