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面白庭小噺(たんぽぽ)

何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。
高橋尚子選手 座右の銘

 時間は動いているものにのみ働く。止まっているものは時間を受け流し、後になって小さく、しかし致命的な風化が進んでいたのに気づき、消えてしまう。時間は誰もに平等に働いているのではない。万物は流転し、その流れの早いものがより先んじることが出来る。だからこそ、動け、動け。動くことが世界への貢献なのだ。

◇◇◇◇◇

「なんて言われてもなあ。私は嫌だな。動くのは疲れるもの」

「口をつぐめ、馬鹿息子。我々は地上により大きな太陽を君臨せしめるためにこそ、ここで生き、そしてその糧となっていく運命を背負っているのだ」

 子は聞こえぬふりでぐんと伸びをし前方にちらりと視線を向けた。小さな者たちが土の壁をシャベルとつるはしでがむしゃらに掘り進めている。彼の兄弟たちだ。皆透き通るような純白のローブに身を包み、歳にかかわらず形の良い禿頭をしている。

 彼らは穴掘りの一族。太陽である王とその側近である緑の一族を支えている誇り高き一族である。決して顧みられることはないが、その誇りゆえに同情を欲しない。彼らにとっては自らの働きを振り返り、その偉大さを思うことだけで十分なのである。

 彼らは一年を通して穴を下へ下へと掘り続ける。地上が堕ちるまで永遠に働く。楽な仕事ではない。特に冬場は土も冷たく、時には凍ることもあるので厳しい期間だ。その時期に生まれた兄弟たちはただ自分の運の悪さを恨むより仕方がない。そしてまた、ひたすらに掘り続ける。

 今は冬、彼らにとって苦難の時期であることを考えても、あの子の存在は異質で、ありえないことだった。誇り高き穴掘りの一族に怠け者など生まれるはずがなかった。ましてやあの最も時間に愛された男の分身であるとは誰も信じることが出来なかった。彼は懸命に働く兄弟たちに問う。

「なあ、君らはどうして働くんだ。こんなことに意味なんてあるのかね」

 兄弟たちは口々に彼を罵った。太陽のため、誇りのため、時間と連れ添うため。彼らの中で最も長じた男がざわめきをいなし、怠け者と呼ばれた彼と向き合った。男はまもなく大人になる頃合いだった。

「意味はあるさ。弟たちが言ったようにな。だが、私にはもう意味などどうでも良いのだ。後ろを振り返ってみてご覧」

 無数の亡骸が累々と転がっていた。一族が掘ってきた穴の続く限り亡骸も無限に存在するのである。そして今や彼らの父もその一つに成り変わろうとしていた。足元から父の体は硬さと透明度を増していく。何かに救われたような安らかな表情を見せて父は最期の言葉を兄弟たちに伝える。

「お前たちとはここでお別れだが、恐れることはない。我らの死は時間との決別であり次の生の始まりでもある。私には土を掘り崩すことはもはや出来ないが、出来た道を支える柱となろう。それが連綿と続いてきた我らが担う最期の貢献なのだ」

「最期の貢献だって? 必死に毎日働いてきた挙げ句が、死んでも太陽に尽くすことであるなんて悲し過ぎはしないだろうか。それでは我々の魂は永遠に救われることがない。なれば私は怠け続けてやろうと思う」

 彼が言い終わる前に父は半透明の像と化し返答はなかった。しかしその表情は死の終わりまで安らかで変わりがなかった。それは他の亡骸も同様で、彼は歯を食いしばり涙をこらえながら「どうして」と問わずにはいられなかった。

 数時間後、あれきり静かで鬱々とした雰囲気に包まれていた一行の中に元気な産声が上がった。あの長子の子、分身がこの世に生を受けたのである。

「いけない。これで君は死に始めたってことなんだぞ」

「覚悟の上さ。さあ、ちょっとこの子のお守りをお願いするよ」

 怠け者の彼に預けられた赤子は鳴き声をいや増して食べ物を欲する。数少ない自分用のパンをちぎって与えると赤子は美味しそうに食べ、さらにねだった。成長は早い。数時間も経つと赤子は一人歩きを始め穴を掘ることに興味を持ち始める。

「お前もか。どうしてみんな働くんだ。そうしてまた私よりも先に死んでいくのだぞ。お前の父さんももうじき」

 するとそれまでにこにこしているだけだった赤子が急に分別くさい顔つきをして言った。

「おじさん、そういうことなんです。僕はお父さんに代わるため生まれてきた。記憶を受け継いで次へとまた託すために。それは一つの個体が過ごす世界よりもずっと豊かな世界なのです。一つ一つが違う世界の見方をするのですから。無限を生きた一つの命は一つの世界しか知らないけれど、繰り返す命の流転は無限の世界を知ることになるのです。だから父さんは死ぬことで失いますが、同時に与えるのです」

 そしてその子もまたシャベルを取って掘り始めた。怠け者は怠け者のままだった。彼は他の兄弟が生む赤子を預かり面倒を見た。何人も何人も。その間には何人も何人も死んでいった。彼はそれをずっと見続けた。終わりのない繰り返し。もうどのくらいの間そうやっているのか、彼には分からなくなっていた。

 ある日のこと、独り立ちする少年が彼に向かって尋ねた。

「長老さん、どうして僕たちは働かなければならないんでしょう。死ぬために頑張るだなんておかしいと思いませんか」

 長老は彼の顔をまじまじと見た。少年を値踏みするように何度も顔にしわ寄せる。そして満足そうに微笑んだ。久方ぶりの笑顔が浮かぶ。

「さて、どうしてだろうなあ。わしはようやっと分かったような気がするわい。だが、こればかりは教えてもきっと分かるまい。ともかくその目で見て考えることだな」

 長老は少年の肩に触れぐっと力を込めてしばらく佇んでいた。そして去り際「頼んだぞ」と軽く二度肩を叩いていなくなってしまった。その後彼の行方を知るものはない。ただ、彼がいなくなっても誰も困ることはなかった。少年が長老の代わりに赤子のお守りを始めたからである。そして長老の見れなかった世界を少年は見ているのであった。怠け者にもう一つの世界が立ち現れているのであった。

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たんぽぽの根。根端分裂組織。

※小噺はひとつのマガジンにまとめていこうと思っていますのでよろしければご利用ください。

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