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【ビジネス書解説】「奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 この生きづらい世の中で「よく生きる」ために」

こんにちは。
今回は、荻野 弘之さんの「奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 この生きづらい世の中で「よく生きる」ために」について解説していきます。

はじめに

エピクテトスとは、ローマ時代のストア派を代表する哲学者です。
ストア派とはローマ時代哲学の一学派です。
この本は、ストア派の哲学を、それぞれの人生を見つめ直すきっかけとなり、さまざまな困難や課題を解決する「生き方」を紹介しています。

地位や財産や権力とは無縁(むえん)な、平凡な一般人でも、真の自由を享受(きょうじゅ)することができます。
そして幸福な生活をすることもできます。

この記事では、生きづらい世の中が生きやすくなる哲学を12個紹介します。
勉強になった、もっと知りたいと思った人は、是非いいねやコメントをお願いします。


具体的なアクションプラン


【1個目】 求めると不幸になるもの

「ストイック」という言葉は、古代のストア派に由来する本来の意味では「自分の欲望のままに従うのではなく、意識して禁欲する。我慢する態度」を指します。
そもそも、なぜ禁欲する必要があるのか?
それは、欲望を適切にコントロールすることが、幸せか不幸せと直結するからです。
ストア派の基本的な思想は、「自分に変えられるもの」と「自分では変えられないもの」を正確に見極めます。

そして自分の裁量(さいりょう)の範囲内にあるものにだけ、自分の欲望の対象を限定すること、としています。
これが禁欲ということです。

地位や名誉(めいよ)、財産など、我々が欲望を向けているものの多くは自分でどうにもできないものが多いです。
そのため「自分で変えられるもの」とは言えないです。
誰かが羨(うらや)ましく思っても、その地位や名誉を自分の裁量でどうにかできるわけではないです。

それにも関わらず、他人の成功を見て、自分も目立ちたくなったり、不必要な競争に駆(か)り立てられて自分が苦しむのは間違いなく愚(おろ)かなことです。
真の意味で、自由に生きていくためには、こうした「自分では変えられないもの」にとらわれないことが幸福への近道です。


【2個目】 他人に何かを望むのは、馬鹿のすること

エピクテトスの言葉を借りると、自分の大切な誰かにいつまでも生きてほしいと望むのは「馬鹿(ばか)」だと言います。
それはなぜか?
それは、自分でどうにかできることと、自分ではどうしようもできないことを混同しているからです。
当然、自分がいくら強く願っても、大切な人が永遠の命を得られるわけではないです。

つまり、自分にできないことを願ったところで、その願いが叶うはずではない、ということです。
望んで良いこと、それは、「自分ができること」に限った方がいいです。


【3個目】 「他人の評価」という泥沼から脱する

世間には人当たりがよく、愛嬌(あいきょう)があって、友人に囲まれている人、受賞を重ねる人、地位に恵まれる人がいます。
その一方で、その反対に、誤解(ごかい)を招きやすい人、孤独な人、地位に無縁(むえん)な人もいます。

しかし、自分がいかに努力したところで、他人からの評価や評判は最終的に自分で自由に制御できるものはないです。
逆にそうした他人の目や評価にこだわりすぎると、自分の道を見失ってしまいます。
他人の評判や評価は自分ではコントロールできないです。
他人の評価の中で生きることは、思い通りに動けない泥沼でもがき苦しむようなものです。

自由に生きる唯一の道は、自分自身の意志の中で生きることです。


【4個目】 「どう捉えるか」だけが唯一無二の対処法

古代世界は呪術(じゅじゅつ)や予言などが多くありました。
現代社会でも、占いやおみくじに一喜一憂する人もたくさんいます。
日常の生活を振り返ってみても、周囲の状況から漠然(ばくぜん)とした不安を抱いてしまうことは多いです。

エピクテトスは、「事実と評価を区別せよ」と主張します。
仕事であれ、人間関係であれ、占いやおみくじで悪い目が出たという「事実」と「仕事がうまくいかないかもしれない」という自分の評価は別物です。
つまり、起こった事実は「自分では変えられないもの」です。
自分にはどうしようもできないですが、それをどう評価するかは「自分次第であるもの」と考えています。

出来事に善悪はないです。
未来にどんな事態が起ころうが、それは人間の手で左右できることではないので、そもそも欲求の対象にしてはいけないです。
たとえ自分の希望と違っていても、我々にとって悪いものと思われる状況でも、いい方向に進めることは可能です。

たとえば、子供の頃、遠足の前の晩に翌日の晴れを願ったことはあると思います。
しかし、起きてみたら雨が降った。
でも結局は、別の遊びをして楽しく過ごしていた。
この事実は、どちらが良かったのか?
よく考えれば、これを判定することは難しく、見解は2つに分かれます。

1つ目は、いつまでも自分の希望に固執することです。
雨が降らなければ遠足に行けたのに、と引きずってしまうことで、失望しか生まれないです。

2つ目は、第二希望としての現在を受け入れることです。
雨は降ったけど、楽しく過ごすことができた、というものです。

事実は1つですが解釈は無限です。
悪い事実でもいい解釈をして、プラスな思考に変換してください。


【5個目】 目の前の快楽より、日々の小さな苦労

エピクテトスは、ストア派の伝統に従って、悪い感情を「恐怖」「苦痛」「欲望」「快楽」の4つに分類しました。
エピクテトスの理想の境地は、「行き過ぎた感情に流されずに、自分を見失わない」ということです。
わざわざ快楽を避けるのは、自分の進むべき進路に狂いが生じるからです。

僕たちが苦しみ悩むのは、過度に苦痛で、恐怖に苛(さいな)まれる時だけではないです。
楽しいことから、あえて対象と距離を保つ冷静な態度が求められます。

快楽は、追い求め続けていると、かえって将来により大きな苦痛を背負い込んでしまいます。
だからこそ、現在の小さな苦痛を選択する方が、将来の大きな傷を回避するとしています。


【6個目】 偏った先入観が、人間関係の悩みを長引かせる

家庭でも職場でも学校でも近所付き合いでも、およそ人間関係のあるところ、相性の良し悪しや好き嫌いが生じます。
しかし、苦手な人と共に過ごさないといけない状況も多いです。
日常の悩みやストレスの大半は、こうした人間関係から生まれています。
多少の個人差はあっても、こうした経験に無縁(むえん)な人はあまりいないです。

ここでエピクテトスは、「傷付けられたと君が考えるとき、まさにその時点で、君は実際に傷つけられたことになるのだ」という言葉を残しています。
これは、この人と合わなそうだ、と他人の一面を見ただけで簡単にわかったつもりになってはいけない、という考えです。
先入観を捨てて、相手との関係をじっくりと理解するよう努めてください。

あなたは、会社の上司や同僚、友人、家族といった身近な存在をどこまで理解していますか?
日常的に顔を合わせているからといって、僕たちは何でもわかったつもりになっています。
人間関係のもつれを解きほどくために、改めて「この人と私とは、どういう関係か」と自問してみてください。
相手に対する先入観を取り払い、改めてお互いの関係を見直してください。


【7個目】 過剰な承認欲求が、自分を奴隷に仕立てあげる

愛されたい、好かれたい、気に入られたいという願いは総じて「承認の欲求」です。
これは自然な人間の欲求ですが、その願いが叶えられないとき、人は悲しんだり、諦めたり、挫折(ざせつ)を味わいながら、人生の冷酷(れいこく)な現実を思い知ります。
そして、この欲求が強すぎると、問題が生じます。
なんとしても気に入られたいと願う瞬間、人は奴隷(どれい)になります。
いつの間にか、自分の行動原理を他人に握られます。

エピクテトスは、「真に自由な生き方」として、他人からではなく、「自分自身にそう思われれば良い」としています。
他人からの評判を気にするあまり自分を見失うことなく、「真に自由でいられるようになれ」ということです。
仕事でもプライベートでも、他人から誤解され、実態と評判が食い違う場合もあります。
しかし、あえてそうした誤解や過小評価に甘んじて、他人にそうみてもらいたいという欲望に身を委ねないことが大切です。


【8個目】 他人の振る舞いに対して寛大になる

集合住宅で暮らす住民の間で、日常的なストレスはつきものです。
また、夫婦でも家事や育児の見解、友人でも時間や約束など、挙げればキリが無いです。
これらの事実を前にして、それを善悪と結びつけて評価するのは、ごく自然に僕たちがやっていることです。

しかし、この善悪の行為は一体何で決まるのか。
それは、その行為をした本人が、何を意図していたか、動機や目的が重要です。
僕たちは、他人の行動の表面だけ見て、その意図を正確に見抜くことなしに行為の善悪を判断するわけにはいかないです。
場合によっては、やむを得ない事情が隠されているかもしれないです。
習慣の違いやしつけの問題もあります。
いずれにせよ、何らかの「無知」にゆえにそうした不適切な行動が起こったのであれば、そこには考慮すべき事情や改善の余地があります。

まずは、事実判断と価値判断を切り分けて、行為自体ではなく、行為者の意図や動機を考えてください。


【9個目】 「不公平」など、実はこの世に存在しない

会社や学校など人間関係のあるところには、同じような立場にあるものと比較して、自分だけが不当に疎(うと)まれているのではないか。
嫌われているのではいか、差別されているのではないか、と言った被害者意識が生まれることがあります。

しかし、これは行為や恩義の相互交換が行われていると考えてみてください。
たとえば、自分には渡されなかったお土産を誰かがもらっているとします。
その人は、何らかの贈答や努力をした結果、もらっているのです。
つまり、自分がお土産をもらえなかったのは、もらえた人と同じような行動をとっていなかったからです。

それにも関わらず、お土産をもらえなかったと嘆(なげ)く人は、エピクテトスからすれば、貪欲で愚(おろ)かなものに分類されます。
また、エピクテトスは、お土産をもらっていない人についても得られたものがあるとしています。
それは、もし、理不尽に思えるような待遇を受けたとしても、自分や余計なお世辞を言わなくても済んだ、と考えることができるというものです。
そうすることで、心が軽くなることにもつながります。


【10個目】 最も幼稚なのは、他人を非難すること

事故や失敗など、思いがけず不幸に直面した時に、人は誰しも他人のせいにしたくなるものです。
もちろん、責任追求や原因究明が必要な時もあります。

エピクテトスによれば、あるできことが幸か不幸かを決めるのは、客観的な事実の側ではなくて、自分がそれをどう評価するにかかっているとしています。
事態を冷静に眺めれば、誰かが悪いともいえず、自分自身が悪いかもしれないです。
やたら他人のせいにするのではなく、当事者として冷静に事実を見つめて、他人も自分も非難しないことが大切です。
一旦感情は脇において、事実を事実押して受け止め、慌てて一喜一憂しないでください。


【11個目】 年収や財産を自慢しない

僕たちはつい自分では無いものを自慢してしまいがちです。
持っているものはすごいかもしれないが、所有している自分がすごいと勘違いしてはいけないです。
いくら所有物が素晴らしい価値を持っていても、所有者である自分自身とは別物です。

では、真の意味で私が持っているという利点はどこにあるのか。
それは、自分自身と切り離せないもの。
喪失(そうしつ)する可能性のないもの。
自分自身のあり方の一部を構成するものでなくてはならないです。
エピクテトスは、心像(しんぞう)を正しく用いるという能力に焦点を当てています。
心像(しんぞう)を正しく用いるとは、自分の心や意識の働きが適切かどうかを判断することです。

自分の、ものの見方に偏見や先入観が含まれていないか、欲望を適切に抑えることができているか、といった心の動きが、自分が得意になっていいものなのです。


【12個目】 困難こそが人を成長させる

ストレス社会を生きていると、困難な事態に直面することも多いです。
新入社員であれば、次々と新しい仕事を覚えないといけないです。
管理職であれば、日々の重要な判断を迫られます。
アルバイトであれば、人使いのあらいマネージャーのいる職場が困難な事態です。
エピクテトスは、辛い仕事をさせられる場合にこそ、自分の中に忍耐心という長所が発見できるといいます。

ただひたすら、不条理な仕打ちに耐えろ、といっているわけではないです。
忍耐心とは、一時的な感情に流されず、置かれている状況を冷静に受け止める理性的な力としています。
感情に囚(とら)われたままでは、打開策は見えないです。

困難は困難として受け止め、自分には何ができるかを点検します。
それが困難な事態に対処するために、自分の能力を探し出すことにつながります。

置かれている状況を冷静に受け止めるというのは簡単ですが、感情に流されやすい人間がすぐにできるものではないです。
そのためにも、日常から自分の感情を、あたかも第三者のような目で観察する習慣を身につけてください。
そういった日々の自己修正の繰り返しが、困難な局面を切り抜ける力になります。


まとめ


それではまとめていきます。


【1個目】 求めると不幸になるもの

《欲望を適切にコントロールする》

「ストイック」という言葉は、古代のストア派に由来する本来の意味では「自分の欲望のままに従うのではなく、意識して禁欲する、我慢する態度」を指します。
欲望を適切にコントロールすることが、幸せ・不幸せと直結するからです。

地位や名誉(めいよ)、財産など、我々が欲望を向けているものの多くは自分でどうにもできないものが多いです。
他人の成功や繁栄(はんえい)を見て、自分も目立ちたくなったり、不必要な競争に駆(か)り立てられ、結果として自分が苦し
むのは間違いなく愚(おろ)かなことです。


【2個目】 他人に何かを望むのは、馬鹿のすること

《自分にできないことを願ったところで、その願いが叶うはずではない》

エピクテトスの言葉を借りると、自分の大切な誰かにいつまでも生きてほしいと望むのは「馬鹿(ばか)」だと言います。

それはなぜか?
それは、自分でどうにかできることと、自分ではどうしようもできないことを混同しているからです。
当然、自分がいくら強く願っても、大切な人が永遠の命を得られるわけではないです。

つまり、自分にできないことを願ったところで、その願いが叶うはずではない、ということです。
望んで良いこと、それは、「自分ができること」に限った方がいいです。


【3個目】 「他人の評価」という泥沼から脱する

《他人の評判は自分ではコントロールできない》

自分がいかに努力したところで、他人からの評価や評判は最終的に自分で自由に制御できるものはないです。
逆にそうした他人の目や評価にこだわりすぎると、自分の道を見失ってしまいます。
他人の評判は自分ではコントロールできないです。
他人の評価の中で生きることは、思い通りに動けない泥沼でもがき苦しむようなものです。

自由に生きる唯一の道は、自分自身の意志の中で生きることです。


【4個目】 「どう捉えるか」だけが唯一無二の対処法

《プラスな思考に変換する》

エピクテトスは、「事実と評価を区別せよ」と主張します。
仕事であれ、人間関係であり、占いやおみくじで悪い目が出たという「事実」と「仕事がうまくいかないかもしれない」という自信の評価は別物です。
つまり、起こった事実は「我々次第ではないもの」であり、我々にはどうしようもできないですが、それをどう評価する
かは「我々次第であるもの」と考えています。

出来事に善悪はないです。
未来にどんな事態が起ころうが、それは人間の手で左右できることではないので、そもそも欲求の対象にしてはいけないです。

発生した一つの事実に対して、捉え方は2つに分かれます。

1つ目・・・いつまでも自分の希望に固執すること
→雨が降らなければ遠足に行けたのに、と引きずってしまうことで、失望しか生まれないです。

2つ目・・・第二希望としての現在を受け入れること
→雨は降ったけど、楽しく過ごすことができた、というものです。
事実は1つですが解釈は無限です。
悪い事実でもいい解釈をして、プラスな思考に変換してください。


【5個目】 目の前の快楽より、日々の小さな苦労

《快楽は追い求め続けると将来、より大きな苦痛を背負い込んでしまう》

エピクテトスは、ストア派の伝統に従って、悪い感情を「恐怖」「苦痛」「欲望」「快楽」の4つに分類しました。
エピクテトスの理想の境地は、「行き過ぎた感情に流されずに、自分を見失わない」ということです。
わざわざ快楽を避けるのは、自分の進むべき進路に狂いが生じるからです。

快楽は、追い求め続けていると、かえって将来により大きな苦痛を背負い込んでしまいます。
だからこそ、現在の小さな苦痛を選択する方が、将来の大きな傷を回避するとしています。


【6個目】 偏った先入観が、人間関係の悩みを長引かせる

《相手に対する先入観を取り払う》

家庭でも職場でも学校でも近所付き合いでも、人間関係のあるところでは相性の良し悪しや好き嫌いが生まれます。
しかし、苦手な人と共に過ごさないといけない状況も多いです。
日常の悩みやストレスの大半は、こうした人間関係から生まれています。

あなたは、会社の上司や同僚、友人、家族といった身近な存在をどこまで理解していますか?
日常的に顔を合わせているからといって、僕たちは何でもわかったつもりになっています。
人間関係のもつれを解く(ほどく)ために、改めて「この人と私とは、どういう関係か」と自問してみてください。
相手に対する先入観を取り払い、改めてお互いの関係を見直してください。


【7個目】 過剰な承認欲求が、自分を奴隷に仕立てあげる

《欲望に身を委ねない》

愛されたい、好かれたい、気に入られたいという願いは総じて「承認の欲求」です。
この欲求が強すぎると、問題が生じます。
なんとしても気に入られたいと願う瞬間、人は奴隷(どれい)になります。
いつの間にか、自分の行動原理を他者に握られます。

エピクテトスは、「真に自由な生き方」として、他人からではなく、「自分自身にそう思われれば良い」としています。
他人からの評判を気にするあまり自分を見失うことなく、「真に自由でいられるようになれ」ということです。
他人にそう見てもらいたいという欲望に身を委ねないことが大切です。


【8個目】 他人の振る舞いに対して寛大になる

《行為者の意図や動機を考える》

集合住宅で暮らす住民の間で、日常的なストレスはつきものです。
また、夫婦でも家事や育児の見解、友人でも時間や約束など、挙げればキリが無いほどです。
これらの事実を前にして、直ちにそれを善悪と結びつけて評価するのは、ごく自然に僕たちがやっていることです。

しかし、この善悪の行為は一体何で決まるのか。
それは、その行為をした本人が、何を意図していたか、動機や目的が重要です。

まずは、事実判断と価値判断を切り分けて、行為自体ではなく、行為者の意図や動機を考えてください。


【9個目】 「不公平」など、実はこの世に存在しない

《行為や恩義の相互交換》

人間関係のあるところには、同じような立場にあるものと比較して、自分だけが不当に疎(うと)まれているのではないか。
嫌われているのではいか、差別されているのではないか、と言った被害者意識が生まれます。

しかし、これは行為や恩義の相互交換が行われていると考えてみてください。
たとえば、自分には渡されなかったお土産を誰かがもらっているとします。
その人は、何らかの贈答や努力をした結果、もらっているのです。
つまり、自分がお土産をもらえなかったのは、もらえた人と同じような行動をとっていなかったからです。

また、理不尽に思えるような待遇を受けたとしても、自分や余計なお世辞を言わなくても済んだ、と考えることができるというものです。
そうすることで、心が軽くなることにもつながります。


【10個目】 最も幼稚なのは、他人を非難すること

《幸か不幸かを決めるのは自分がそれをどう評価するか》

事故や失敗など、思いがけず不幸に直面した時に、人は誰しも他人のせいにしたくなるものです。

エピクテトスによれば、あるできことが幸か不幸かを決めるのは、客観的な事実の側ではなくて、自分がそれをどう評価するにかかっているとしています。
やたら他人のせいにするのではなく、当事者として冷静に事実を見つめ、他人をも自分をも非難しないことが大切です。


【11個目】 年収や財産を自慢しない

《所有物が素晴らしい価値を持っていても自分自身とは別物》

僕たちはつい自慢してしまいがちです。
持っているものはすごいかもしれないですが、所有している自分がすごいと勘違いしてはいけないです。
いくら所有物が素晴らしい価値を持っていても、所有者である自分自身とは別物です。

では、真の意味で私が持っているという利点はどこにあるのか。
それは、自分自身と切り離せないもの、喪失(そうしつ)する可能性のないもの、自分自身のあり方の一部を構成するものでなくてはならないです。

自分の味方に偏見や先入観が含まれていないか、欲望を適切に抑えることができているか、といった心の動きが、自分が得意になっていいものなのです。


【12個目】 困難こそが人を成長させる

《日々の自己修正の繰り返し》

ストレス社会を生きていると、困難な事態に直面することも多いです。
ただひたすら、不条理な仕打ちに耐えよ、といっているわけではないです。
忍耐心とは、一時的な感情に流されず、置かれている状況を冷静に受け止める理性的な力としています。
感情に囚(とら)われたままでは、打開策は見えないです。

置かれている状況を冷静に受け止めるというのは簡単ですが、感情に流されやすい人間がすぐにできるものではないです。
そのためにも、日常から自分の感情を、あたかも第三者のような目で観察する習慣を身につけてください。
そういった日々の自己修正の繰り返しが、困難な局面を切り抜ける力になります。

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解説は以上です。
少子高齢化の進行や通信技術の急速な発達、グローバル化の波によって、日本も世界も急速に変わっています。
その社会の中で「いかに生きるべきか」という問いは切実になっています。
こうした課題を考えるための貴重なヒントとして、エピクテトスの残した言葉をご紹介しました。
今回の解説が勉強になった、参考になったという人は、是非いいねやコメントをお願いします。

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