焼いた写真

20050810

 この作品の写真は、4歳の男の子の使い古された靴と服とおもちゃ。
そしてその子供が住んでいたマンションの周りの風景が写っているだけです。本来ならその使いふるされたモノ達は成長ともに役目を終えて、廃棄されるべき予定のものでした。しかし それらのモノたちは捨てられることはなく、そして誰かに譲られることもなく、ずっと戸棚の奥へ長い間、隠されておりました。

 何故ならそれは、その母親が、彼が亡くなったと言う事実をどうしても認められなかったからです。
しかし、それらのモノ達は、11年もの間、存在はずっと忘れられていなかったものの、1度も外へ出されることはありませんでした。彼女はその事実に対して正面から向かいあう勇気がありませんでした。


 自分の子供の死というのは自分の残りの人生の死でもあるからです。

 2016年の春、その子の母親である 私、榎本八千代が、大切にしまわれるいた箱から一つ一つ丁寧に取りし、カメラの前に置き、そしてファインダーを通して、やっと11年前の「喪失」について考え始めることができました。

 それは、写真というツールを利用することにより、自らの「喪失」の記憶について辛いながらも向かいあう事が出来ると考えたからです。


 亡くなった子供をよみがえらせたいという感情と、成仏して欲しいという感情は、まったく正反対の位置にありながらも、常に私は、それを持ち続けてきました。写真という手段は、そのアンビバレント(ambivalent)な欲望を一時的に実現できるツールであるとも彼女は考えたからです。
 作品制作は、1年間続けられました。数少ない「遺品」に対して、何百回ファインダーを通して覗き、同じものを何百回もシャッターボタンを押し、
それらをプリントして、また見るという作業をずっと行いました。そしてそれは、私の中では息子の喪失へについての対峙だけでなく、もう一つの大切な意味があるとやっと理解しました。
 
それは「解放」という言葉でした。

「喪失に対峙する」ということは 決して亡くなった息子のことを忘れるということではないということ。そうではなく、「かわいそうな被害者の母親」と「幼くして亡くなってしまったかわいそうな息子」からの「解放」でもあるということでした。
 

これらの写真は、息子の事故から1年を経て それでも処分ができなかった
「遺品」と亡くなった保育所を撮影したものです。
これは私の「喪失」への対峙でありながら
「遺品」の私からの解放でもあり
「遺品」からの私の残りの人生の解放でもあります 


榎本八千代

 In this work, merely you can see the photographs of shoes, clothes toys which were belong to a four year old boy. and landscape images around his apartment where he used to lived.

 Those his belongings were supposed be used , if he were growing up. Instead , they were not used by him, were hidden in the back of the cupboard for a long time , were not discarded nor given to another child.11years , they were in the place where they belong, never forgotten , just stay there. 

 She knew that her beloved one is gone, just she could not face this fact. Because if she admits her loss , this could be as same as the end of her own life.

 In the spring of 2015, Yachiyo Enomoto, the mother , a photographer, took out his belongings from the box , placed it in front of her camera and started taking photographs of them. Photography as her tool ,by using it , she thought she cold face her sad memories.

 She have two ambivalent emotions for long time. She wants to his boy return to life again and get to heaven without trouble. always.

 She thought that the photography was as a tool that could satisfy her ambivalent desire at a some time.

yachiyo ENOMOTO

48歳からの写真作家修行中。できるかできないかは、やってみないとわからんよ。