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和尚が

ニューヨークで10年以上暮らしていると、日本のお正月という感覚が益々遠くなっていく。そもそも僕はアメリカ生まれだったりで、あの急に厳かになる雰囲気に元々あまり馴染まないでいた。子供の頃ずっと祖父母の家に住んでいたので、普段そこまで親しくない人々が集まって来ては、興味本位で色々聞かれたりもするし、いつもの遊び場やお店が閉まっていたりで不服だった記憶が多いような。結構そう思っていた子供たちもいたのではないか?もしかしたらそれでお年玉という習慣ができたのかも知れない。どうせ大人達は朝から呑んでいるんだし、それで現金な子供たちもハッピーになって、晴れて皆おめでたいな〜ということになる。そう考えるととても良い文化だ。(でもやっぱり記憶の中で、うちのおばあちゃんはいつも一日中働いていたような気がする…)

話は戻って今は年に数回、ニュージャージーに住んでいる母に会うことがある。その度に離婚した父の遺品を、手土産のように渡されることが多い。旧式の銀色のスーツケース、装飾の入ったブランデーグラス、州立大学のペーパーナイフなどなど、意外と重宝するものから、貰ってもどうしようかというものまで様々だ。僕が小さかった頃の持ち物をくれる場合もあったりする。ピンクパンサー模様のバスタオルに、産まれた頃に包まっていたらしく、それもいま手元にある。

前回会った時には、書道セットを受け取った。これも僕が習字スクールに通っていた頃に使っていたものだ。濃いブルーのカバンの中に、硯石と文鎮と筆も揃っている。そうだ思いついた。珍しくというか、もしかしたら生まれて初めて、お正月気分を出すために書き初めでもしてみようではないか。スズリを研いで墨を擦ったら、さて何と書こうか?次にパッと思い付いたのが、”挑戦”の二文字。新年らしくてぴったりじゃないか。そこで想像の半紙をひっくり返して、裏に三日坊主と書いたところで三ヶ日終了。あ、もう五日か。

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