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電気信号🚥/生きる知恵②

判断の電気信号🚥
脳が理解出来てないと判断できる?
それから
もしも理解出来てないという選択をしたら
止まることは出来るのだろうか?

僕は今日初めて
信号がある横断歩道を渡ってみようと思います



新人には判断がつきづらいのかもしれません

あくまでも経験不足と鑑んでみたら
そりゃぁその交差点を渡った事がないからである

分からないの信号🚥

仕事をしてると横断歩道に何度もぶつかってしまう

その繰り返しなのかもしれません

どうしたって同じ交差点には出くわす事はなく
毎回構成の違うモンスターエンカウント

経験がないと判断がつかないので
見た目と中身が伴わないモンタージュ
だったりするのです


勿論信号に従えばいい


元々人が担ってた信号士の代わりに
製造されたのが信号機

信号は公共の場に設置されてれば
判断を公に預けることになり
事故が起こらない様に
人が作った仕組みである

ルールは従えば無思考で渡れるわけである

しかし
本来の人は違う
少なくとも僕の仕事は違う

まず赤信号で止まれる意識を持っているだろうか
物差しが自分の赤信号だったり

仲間の様子の信号だったり
空気感の信号だったり

何を信じればいいか 
見通しが不安だと判断に困ってしまいます

普段から他人目線も感じることが出来ると
他人格を個人に宿して
自分の観察眼の先の人と人を
照らし合わせます

だって一辺倒な世の中にはなれません

それは人が創作し
我々にいつのまにか人格を与えてくれていたりする
作品がありカルチャーを楽しんでるからであって
(事象をそのまま説明するだけで解釈に及びます)

そういうことでもなく
歴史の上に僕たち人類は今生きてるはずで

最終的に判断をするのはあくまでも
自分でしかないのだと


背中を押してもらったとしても
自分の意思で動き答えを選ばなくてはならない
ある程度キャリアを積んでしまい先が
壁に覆われてる時の土壺もある

渡った経験すなわち
成功体験が楽にするはずだと思う




そういう簡単なことでもない

仕事ははっきりしない事ばかりで
溢れかえっている

deadゾーンだが
黄色信号の時の判断で人は悩み苦しむ
やっと相談する時でさえ人を選ぶし
悩みは絶やさないかもしれない
人は優しさというが
本当の優しさは優しくなれないが
答えなのかもしれない
じゃなきゃ"タヒ"が隣り合わせでも
なかった気もする


赤信号を渡ってしまった
経験は諸刃の刃かもしれない


運転席の横に
助手席の人に相談する事が出来るかもしれない
大体の意見は
危ない交差点を
無茶して渡らない
が正解のはず

相談する事を間髪なく選択できるのも人柄なのだと

傲慢な態度の判断は
実は生きる上で
生産性が著しく低下する

果てしなく言いたい事は
言えない事だ

成功は一箇所では生きれない
難しい生き物である

渋谷で買った




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