マジョリティが持つ力

昔からマジョリティー側に自分はいられなかったです。かといってマイノリティーとして胸を張って生きてきたわけでもなく、わりと1人で、あるいはごく少数の人たちとの世界で生きていました。

私は漫画をよく読むのですけど、傾向としてなんとなく興味を持つのはマイノリティーの物語です。

最近では様々なコンプレックスやセクシャルマイノリティーをテーマにした作品を読みました。他には30歳代で夢を追ったり好きなことをするために、現実的な路線と線を引く話とか。

私自身が大多数の意見や行動に合わせるのが苦手な子供時代でしたが、それでも折り合いをつけられてはいました。色々と面倒なことになるよりは、表向きは周りに合わせておこう、と。

おかげで大変ストレスフルでした。自分で選んだので仕方ないのですけど。

私なりの折り合いの付け方は、「気にされない程度の小さな反抗」を行うことでした。私だけがそれを反抗と認識する程度の。

集団行動時に周りとテンポやリズムを合わせない、とか。集合時間には問題ない程度にちょっと遅れる、とか。

個人に向けられたメッセージでなければ返事をしない、とか。

大衆が常識と言わんばかりの社会がものすごく嫌で、大多数の中で自分自身が見いだせなかったのでしょう。

自分自身が確立されてきた辺りから、むしろ周りが全く気にならなくなりました。

大衆に刃向かうことで、他者に刃向かうことで、自分自身を形成しようとしていたのでしょうね。その頃は。

自分自身に気付き始めてからは、無駄に衝突することも減っていきますが、自分がわかってきたら今度は「自分の正当化のため」の戦いが始まってしまい、結局「対マジョリティ」「対他者」の構図を創ってしまっていたのです。

歳も重ねて、失敗も重ねて、ようやくその戦いも出口が見えている感じです。

別に声高く自分自身を主張しなくても、私は私。そう思えるようになってきたので叩く理由がありません。

私を侵害しようとする何かとは戦うことになるでしょうけど、それはむしろ正当な戦いというか戦わないといけない対象だと思っています。

戦うといっても殴り合うとか、傷つけ合うわけじゃないのですけどね。

私は私を貫くだけです。

マイノリティを潰そうとする力って無意識のうちにマジョリティの中で生まれていると思うんです。

そういう力に皆が気付いて、そういうのっていらないよね、ってなれたら良いと思っています。

さし当たって衆議院が解散して、日本では総選挙に向かいました。

声の大きいもの、多くの賛同意見を持つもの、が正義、正解ではない。とは思っています。

代議員制の仕組みも理解しているつもり。

日本が、世界が、良い方に向かって欲しいという願いはなくはないけど、さし当たって、私の周りが快適に回ってくれるのならそれでいいです。

私にとって快適に回るって言うのは、よくわからないマジョリティに声を消されず、マイノリティがマイノリティとして生きていけることも含みます。

経済が、、、とか話し始めるとそれこそ正しさのぶつけ合いになってしまいますけど、「経世済民」と言われるように民衆を苦しみから救ってくれる政治をして欲しいですね。

経済活動っていったときに、金儲けで終わっているならそれは経済じゃないと思います。

儲けたお金を世の中の何に使うのか。

民衆を救うように使って欲しいし、その仕組みを考えてもらいたいものです。

選挙カーの声がうるさい時期になりました。

この度選ばれる政治家で日本が変わるのではないでしょうけど、私達1人1人は変えられますね。選挙は選挙。自分は自分。そんな感じでいます。

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