科学的に自分を語るのは難しい
科学の分野では、大量の論文が発表される。
そのテーマも方法も様々。
かつて、正しいと思われていたことがひっくり返されたかと思ったら、それ自体が否定されたり・・・
何が「正しい」ことなのかは、一般人にはわからない世界になってきている。
科学のエキスパートたちが語る世界は、ほんの小さな世界であったりする。
エキスパートたちは、小さな世界と現実に起きていることを、その頭脳によって結びつけることができるけど、私のような一般人にはそれが難しい。
どうしても「小さな世界の出来事」で終わっているように見える。
「小さな世界の出来事」と「現実に実感できること」の間はブラックボックスのようになっていて、そこに普遍性を感じにくい(少なくとも私は)。
確率論で語られても、そのブラックボックスの中身を理解できない以上、私は「実感レベル」で納得することができない。
科学を否定するつもりは毛頭なくて、むしろ、科学そのものには敬意を払っている。
研究者に対しても同様。
ただ、その科学の情報をリアルタイムに実感できない。
実感できないものは存在しないとは思っていない。
だから、何かしらブラックボックス的なものがあって、それは実感できないけど、その人らしさを基礎づけているように思う。
それは誰かと比べたり、平均値と比べて語るものではなくて、ただ、その人らしいという絶対性をはらんでいる気がする。
その絶対性がその人らしさであり、その人の運命であり、その魂であるように考えるのが、今は一番心地よい。
他者と一緒な訳はないのに、他者と似ている部分は感じる。
それは、一体、何を共有しているのだろう?
絶対的な存在であるのだとしたら、その共有している、同一だと思っている部分はなんなのだろう?
世界を認識しているのは私自身という存在だ。
その存在の絶対性だけは、今、感じ取れている。
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