貸し借りと贈与

子供の頃、私の家は「よその家とのおもちゃ貸し借り禁止」のルールがあった。

小学生当時、大流行したファミコンのゲームソフトを貸したり借りたりして、同じゲームについての話題で周りは盛り上がっていた。

我が家には「貸し借り禁止」のルールがあったので、その話題にはついていけなかった。

親は不憫に思ったのかガス抜きなのか、「1年に1度、好きなゲームソフトを買う」約束をしてくれた。

1年に1回の約束はクリスマスプレゼントとして叶えられることが多かった。

これはこれで嬉しかった。

しかし、同級生たちが盛り上がる場面には入っていけない。

同級生の盛り上がりや世間の流行と外れたタイミングでのゲーム購入になってしまっていた。

私が基本的に流行に乗っかることができないのは、このときのメンタリティが原因ではないか?と思ったりもする。

流行かどうかはわからなくても、面白いゲームに出会えた時、その面白さを誰かと共有したかったが、「貸し借り禁止」のルールによって、それも実現しないままだった。

何度も理由を尋ねたが、親の返答としては、子供の事務管理能力を信用していないことからくるものだった。

今なら、「まあ、そうだろうな」と思えるが、当時は納得いかなかった。

なにしろ、周囲の同級生は貸し借りしている。私と同じ歳の子供たちが実行しているのだ。私にできないわけがない。

しかし、親は最後までこのルールは撤回しなかったし、私たち兄弟も守った。

今でこそ、シェアだのレンタルだのサブスクだのがビジネスとして成り立つ。

必ずしも自分で所有しなくても済む時代だ。必要な時だけ、必要なものを借りられたらそれでよし、みたいな風潮はある。

衣装のレンタル、車のレンタルなど、一般的になっている。

大人になった私は、子供の頃の憂さを晴らすかのように、他者と貸し借りするようになった。

そこで初めて、親の言っていることを理解した。

「貸したものが返ってこない」のだ。

困ったことに、借りた人が借りたことを忘れてしまっている。

意味がわからない。

私の記憶では、本を貸した。間違いなく貸した。

そして、引っ越しをする際に荷造りをしていたらその本が返ってきていないのを知った。

貸した相手が誰かも覚えている。しかし、まだズバズバとものが言えない時の私だったので、本人に直接「返ってきてないのだけど返してほしい」とは言えなかった。

その人を含む何人かのグループで集まっている時に「私から本を借りたままの人がいたら、引っ越しする前に返してください」とお願いした。

その人は「は〜い」と返事していた。

返事していたのに、返ってはこなかった。その人にとっては「借りた本」ではなくなっていたのだろう。いつのまに所有したことになっていたのだろう。

もうその人とは縁が切れて、今どこで何をしているのかはわからない。連絡先もわからない。誰に聞いたら連絡が取れるかもわからない。

まあ、価格にして800円くらいの新書だったと記憶している。

返ってこないのを諦めた。

そして、その時痛感した。「親が決めたルールはこういうのを避けるためだったんだなあ」と。

子供だった当時、ゲームソフトの貸し借りで破損、紛失があったら最終的に責任を取るのは親だ。親はそれを嫌がったのだろう。

もう1つは、貸し借りを発端にした人間関係のもつれを嫌がったのだろう。

今ならわかる。

なので大人になった今も「貸し借り」には若干の抵抗感を持ったままでいる。

貸し借りをしないわけではない。

借りた時はできるだけ早く返そうとするし、できるだけ借りた時の状態で返すよう努める。

貸す時は「返ってこないもの」として貸す。つまり「あげる」感覚。

「贈与」だ。

努力してはいるものの、借りたものを壊したことはあった。本当に申し訳ない思いだった。

でも、所有するほどのものでもなかったので借りられたことはよかった。壊してしまったので弁償したのだけど、買ったのと大差ない金額を弁償した。貸し借りって非常に難しい。

もう1つ、困った思い出がある。

貸したまま縁を切った人がいる。

貸した側の私は、「返ってこないもの」として貸したので、なんとも思わない。

しかし、相手はどうだろう?

過去にいた人のように「借りたことを忘れた」のか「いつか返そうと思っている」のかわからないけど、実際問題返ってこない。

縁が切れて当然だな、とも思う。

そんなふうに、貸し借りには抵抗があるままだ。

けれど、ものを貸し借りすることで生まれるコミュニケーションもあるので、貸し借り自体が悪いこととは思っていない。

貸し借りを通して、うまく学べればいいのだけど、そういうのが通用しない相手もいる。

基本的には貸し借りのないようにしているが、サービスとしての貸し借りは利用している。お金を払い、契約ごととしての貸し借りなので、若干意味が違う。

契約じゃない貸し借りには気をつけたい。

図書館から借りた本がひどく汚れていたり、読んだだけでは生まれない破損を見つけてしまうと萎えてしまう。

本が好きなだけに尚更だ。

貸し借りを禁じられていた私でも、マナーは学べたのだから、貸し借りを実践してきた人たちならよくできるはず、と思いたい。

なんとなく、貸し借りよりは贈与のほうがスッキリするんだろうなあ、と感じている。

私は、なんだかんだで「あげる(贈与)」が好きだった。所有が好きな人とは意見が食い違った。

貸し借り、贈与、所有。社会の変化で価値観は変わっていくものなのだろうなあ。

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