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【チャンプカー(CART、CCWS)の思い出 その①】チャンプカーについて

2021年の第105回INDY500の勝者は、エリオ・カストロネベス選手でした。46歳の大ベテランが、歴代最多勝利に並ぶ4勝目を挙げたのです。金網に登りガッツポーズをとる姿は、とても感動的でした。

そんなカストロネベス選手を見ていて思い出したのが、もともと彼が在籍していたチャンプカー(CART、CCWS)というシリーズの存在です。ここからは、チャンプカーとはどんなカテゴリーだったのか、そしてチャンプカーの思い出などを書いていきます。

チャンプカー(CART、CCWS)とは?

チャンプカー(CART、CCWS)とは、1979年から2008年までアメリカに存在した自動車レースのカテゴリーです。ワイドトレッドで重量感たっぷりの車がターボエンジンをバンバン吹かしてオーバルやロード、市街地コースを時に時速300km以上で駆け回るという、迫力満点で爽快感抜群のレースが魅力でした。

のちにF1でも活躍するジャック・ヴィルヌーヴ選手やファン・モントーヤ選手を筆頭に、在籍していたドライバーのレベルが高かったのも魅力の1つです。また、近代化が進むF1と比べて、ドライバーの腕と度胸が試されるというアナログな雰囲気を感じさせてくれたのも、チャンプカーの魅力でした。

しかし、エンジン規定変更のいざこざなど紆余曲折の結果、2008年の1戦をもってチャンプカーはその歴史に幕を下ろすことになります。こちらが、チャンプカー最後のレースとなったロングビーチ戦です。

市街地特有のバンピーな路面を豪快に駆け抜けていくチャンプカーの格好よさは、最後まで健在でした。ちなみに、このレースに勝利したのは、のちにインディカー・シリーズでも大活躍するウィル・パワー選手です。

チャンプカー(CART、CCWS)はその後どうなった?

2008年のロングビーチ戦をもって終了したチャンプカーは、ライバルシリーズのIRL(インディ・レーシング・リーグ)に吸収合併されることになります。

チャンプカーで戦っていた多くのチームは、吸収合併を機にIRLへ戦いの場を移すことになります。しかし、名門フォーサイスレーシングはIRLへの参戦を拒否。エンジンを提供していたコスワースもIRLへは参戦しないなど、チャンプカーと同時に去っていった者たちもいました。

チャンプカーを吸収したIRLというシリーズは、実は1996年にチャンプカーから分裂、独立したものなのです。なので、10数年越しに、ようやく元の鞘に収まったとも言えます。ただし、その間に一部ファンの関心など、色々なものを失ってしまったのも事実。もし1996年に分裂しなかったら、分裂は避けられなかったとしても、もっと早くCARTとIRLが統合されていれば、インディカーは今とは違った歴史を刻んでいたかもしれません。

IRLは、その後インディカー・シリーズへと名称を変更して現在も続いています。今のインディカー・シリーズは、当時のIRLとチャンプカーの良いところを引き継ぎながら進化しており、手に汗握る熱いレースが繰り広げられています。

チャンプカー(CART、CCWS)全盛期に参加していたメーカー達

ドライバーのレベルが高く、白熱したレースが楽しめたチャンプカーには、ほかにも魅力がたくさんありました。その中の1つに、エンジン、シャシー、タイヤなどメーカー同士の熾烈な争いがあります。

チャンプカー全盛期の1996年から2001年の間に参戦していたエンジン、シャシー、タイヤメーカーは以下の通りです。(途中で撤退したメーカーも含みます。)

エンジンサプライヤー
■ホンダ
■トヨタ
■メルセデスベンツ
■フォード

タイヤメーカー
■ファイアストン
■グッドイヤー

シャシーコンストラクター
■レイナード
■ローラ
■ペンスキー
■スウィフト
■イーグル

各チームがこれらを組み合わせてレースに挑むのです。シャシーやタイヤによって得意なコースや苦手なコースがあったり、弱いと見なされていた組み合わせで強い走りをするチーム、ドライバーがいたりなど、色んな角度からレースを見ることができました。

ちなみにレイナード/ホンダのパッケージが非常に強く、1997年から2001年まで6年連続でチャンピオンを獲得しています。また、印象的なノーズのイーグルなど、シャシーの形状に各社微妙な違いがあって見比べるのも面白かったです。

今回はここまでです。次回からは、私がチャンプカーを見始めたきっかけや印象的なレースなどを書いていきたいと思います。当時チャンプカーが好きだった人、インディカーの歴史に少しでも興味がある人に読んでもらえると嬉しいです。

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