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ハード・バップのピアニスト達

私も長くジャズを愛好してきた。手元のアルバムをみていると、なかなか「誰でも知ってる名盤」にまで行きつかない奏者がいる。そもそも自分の嗜好が管楽器や弦楽器に偏るためか、ピアニストのリーダー作でこのパターンが多い。こころみにケニー・ドリュー、ホレス・パーラン、フレディ・レッドと並べたら、ドリューはブルーノートの二枚(最初の十吋時代のトリオ作と「アンダーカーレント」)を持っているものの、リヴァーサイドがない。(“Caravan”で開始するトリオ作は持っていた時があるが。)SCは一枚もない。そうして興味もわきにくい。

ホレス・パーランは、私には「名伴奏者」としての彼が居て、いぜん持っていたリーダー作は「アス・スリー」含めて愛聴するに至らなかった。これらをもう手放してしまったが改めて買い直すことなく今にいたっている。

ここでフレディ・レッドになるが、彼こそ筆者が思い入れを抱いて追っかけてきた人だった。まず、最初のプレステジ作を気にいっている。これも多分、元々は10吋作だろう。(CDではハンプトン・ポーズ・カルテットとのカップリングで出た作品の復刻がある。ビクターがかつて紙ジャケットのCDで復刻しており音質が素晴らしい。VICJ-60671で、筆者の手元の盤もこれだ。)そして、映えあるブルーノートに刻んだ名品二枚がある。「コネクション」こそマスターピースだと思うが、やや晦渋な「シェイズ・オブ・レッド」もじっくり聴き込むと実に捨てがたい一作だった。レッドはもう一つ、この間にリヴァーサイドから「サンフランシスコ組曲」という佳品を残していて、これがまたエピソードに富んだ味の深い内容だった。

…このような聴き方を筆者はしてきた。上記したピアニストは、モダンジャズ(ハード・バップ)の名手達だ。考えれば私はこの人々の演奏をほぼ全て、「サイドマン」(伴奏者)で楽しんできた事になる。ホレス・パーランなどは(小児麻痺の後遺症のため運指に大きな制約もあって)決して達者なピアノではない。それなのにスタンリー・タレンタイン、ブッカー・アーヴィンといった人々の残した名作には確かにパーランの名が載っていた。更にあの、ミンガスのアンサンブルで難解な数々の楽曲をこなす柔軟さを備えていたのは忘れられないところだろう。パーランについてはもう一つ、英ジャズのテナー名手タビー・ヘイズとウィルトン・ゲイナーという二人とレコードで共演した、ただ一人のアメリカ黒人ピアニストだったことも特筆してみたい。パーランのこの対応力こそ、なかなか見えにくい彼の隠れた才能だった。

そしてここで最後に取り上げたいのがウィントン・ケリーだ。もちろん、わたしもこれまでたくさん、彼のピアノを聴いてきた。ブルーノート1500、4000の諸作。リヴァーサイドのセッション。マイルス・デイヴィスとの共演。印象に残っている演奏もいろいろ浮かぶ。それではリーダー作は?と問われたら、手元のCDを見ると、ないのである。ただヴィージェイの「ケリー・グレイト」だけがあった。「ウィスパー・ノット」や「ケリー・ブルー」を持っていなかった。いくらなんでもいけないだろうし、これを機にとも思う。

だが、「ケリー・グレイト」こそ本当に素晴らしい一枚だった。ケリーだけでない、PCとフィリー・ジョーのリズム楽器が燃えていた。そこへリー・モーガンと気鋭の新人ウェイン・ショーター(先日逝去の報道が出た。享年八十九。偉大なアーティストでした。)が加わり、意想外の曲調とプレイで新風を吹き込んでいた。この五人が一丸になって突き進みバウンスしていたのだ。他の誰にもなしえない。この時代「第一線」に立った奏者とはこういうものかと、唸るほかない作品だった。ケリーは“ハッピーピアノ”と称される事が多いが、非常に巧者なピアノだと思う。

今回、この記事を書く少し前、ヴァーヴの「イッツ・オールライト!」をたまさかに見つけたので入手した。リヴァーサイドの名盤に先立って六十年代の作品が手元にきたケリーの“二枚目”になった。トリオでなく、ケニー・バレルとコンガ入りだ。採用した曲もポップテイストがならぶ。監修者クリード・テイラーの要請だったのだろう。だが、ケリーのピアノは軽妙で、持ち前のよく弾む、しかも風格のある演奏が三分くらいのなかに如才なく詰め込まれている。曲調の哀感もとても印象深いもので、優れた出来映えだった。ジャケ、選曲(またはレーベル)のため“コーニー”になりかねない。だがケリーのすばらしさはこの手元の二枚だけでも十分伝わってくる。

私は、どうしてもピアノ・トリオに関心が向かない聴者だ。しかし、ピアノはなくてはならない楽器だ。ピアニスト・リーダーで、トリオ以外の作品を味わってみたい気がする。ブルーノートのアルフレッド・ライオン氏は、類いまれな見識の持ち主だった。秀逸なピアニストを同社で多く紹介してきたのだが、意外にピアノ・トリオが少ないのである。

ソニー・クラークが残した五枚のうち、トリオはただの一枚。ホレス・シルヴァーも全然ない。一枚くらいだろう。ハービー・ハンコックにしても皆無。ただ「インヴェンションズ・アンド・ディメンションズ」だけがピアノ・トリオに近いが変則セッティングだ。

アンドリュー・ヒルもゼロ。「スモークスタック」だけがそれに近いが、何と“2ベース”のカルテットときている。ホレス・パーランも作品全体で見ればトリオはげんみつに言って二枚。こうしたピアノ・トリオのカタログ上の不足を「スリー・サウンズ」が一手に引き受けていたようだ。

さらに書くと、「ジャズ史上最も特異なピアニスト」であったハービー・ニコルズだけを全て、ピアノ・トリオで吹込みした。(全四十八曲。リアルタイムでの発売作品としては三枚。うち二枚は十吋だった。のち全音源をコンプリート化。)アルフレッド・ライオンは凄い人だと思う。

ブルーノートとは、「ピアノ・トリオが弱い会社」だと一応言える。併し、偉大なライオン氏は、選び出したピアニストを様々な編成で作品化させ、その悉くを「傑作」に仕立て上げた人物でもあった。

ちょっと、わたしのような聴者も、ここで自信を持っていいだろうか。