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「千と千尋の神隠し」の本当のメッセージ①

※この記事は、映画「千と千尋の神隠し」を視聴した方を対象としています。内容には大いにネタバレが含まれますので、ご了承ください。

2001年7月に公開された宮崎駿の映画「千と千尋の神隠し」は、その美麗で幻想的な映像、個性的なキャラクター、そして独特の世界観で当時の人々を魅了しました。それは2020年の劇場版「鬼滅の刃」無限列車編公開まで、長らく日本の興行収入最高記録を保持するほどの大ヒット作となりました。

この映画は、その約2時間の映像の中に数々の謎を散りばめ、視聴者の想像力を掻き立ててきました。公開から20年近くが経過しても、「主人公の少女とある男の子が実は兄妹だったのでは?」という新説が話題になるなど、"千と千尋"の世界の解釈は常に深みを増しています。

私自身、映画公開時には3回も映画館で観賞するほどハマったのですが、最近、そうした新たな解釈が提唱されていることを知り、自分も映画のシーンを思い返しながら考察を深めていきました。
夢占いが趣味で、自分や他人の夢の意味を読み解くことに長けている私としては、映画中の夢幻的なイメージの意味を探るのにちょっと自信があります。
そんな視点からの考察の中に、まだ他の方が指摘していないような新たな解釈も見つけましたので、ここで公開することに決意しました。
長い前置きとなりましたが、それでは早速、その考察を見ていきましょう。

千尋と母の関係に込められた伏線


怖がる千尋と何も感じない母

物語は、主人公の少女「千尋」が、両親と一緒に新居への移動途中のシーンから始まります。
慣れ親しんだ友人や環境から離れることに対する不満を表現する千尋に対し、彼女の母は「ちゃんとしてちょうだい」と自制を求めます。

途中で道に迷った一家は、未舗装の道へと進んでいきます。
その道の入り口に立つ大きな木と鳥居、そしてその下に置かれた石の祠を見て、千尋は母に尋ねます。
「あの家みたいなのなーに?」
「石の祠、神様のお家よ」

と一瞥しながら母は何気なく答えます。

その後、トンネルを見つけた一家はどんどん奥へと進んでいきます。
しかし、不気味な雰囲気に怖がる千尋は進むことをためらい、母は平然と進む様子を示し、千尋にも同じように進むよう促します。
この序盤のシーンで、二人の対比的な描写は明確にされています。
これは一体何を意味しているのでしょうか?

その理由は、「千と千尋の神隠し」が製作されるきっかけにあります。
千尋には実在のモデルがいて、それは日本テレビの映画プロデューサー、奥田誠治の10歳の娘です。
宮崎駿監督は毎年、山小屋でスタジオジブリ関係者の子供たちを集めて合宿を開き、10歳前後の少女たちへ向けた映画を作りたいと考えたのです。
つまり、「千と千尋の神隠し」の物語は、宮崎駿監督が子供たちへ贈りたい願いやメッセージが背後にあるのです。
監督が子供たちを見て思ったのは、「この子たちがああいう大人に育てられたらどうなるのだろう」ということで、その「子供たち」を象徴するのが千尋で、「ああいう大人」を象徴するのが千尋の両親と言えます。

「ああいう大人」とは、神様の家を何も感じずに侵入してしまうよう大人たちを指しています。
つまり、千尋の母は「神への敬意を忘れている」状態と言えます。
それに対して千尋は「忘れかけている」状態です。
何の恐れも感じずに進む母に対し、千尋はまだ神様の存在を完全に忘れてはおらず、神様の領域に踏み込むことに対して本能的な恐怖を感じていました。
子供たちは大人を見て育ちます。千尋の母は、千尋に対して「自分のように大人らしく振る舞いなさい」と促す態度をとります。そのような母親の影響を受けて育つ千尋は、いずれ母親のように神様の存在を忘れてしまうかもしれません。
物語的には、この時点ですでにハクは大ピンチに直面しています。物語の終盤で、千尋がハクの本当の名前を思い出すことによってハクは救われますが、その希望が絶たれようとしているのですからね。

Regenerate response

千尋が神様を忘れないかどうかが物語の鍵

ここで千尋の両親が忘れてしまった「神様」とは何を意味するのでしょうか。
日本の伝統的な八百万の神?自然への畏怖心の象徴?
様々な解釈が考えられますが、物語の流れを汲むと「感謝の念」が最も近い解釈と言えるでしょう。
未知の世界に迷い込んだ千尋は、世話役のリンから最初に「お礼を言うこと」を学びます。
その後、千尋は出会うすべての人に感謝の言葉を伝えます。
カオナシや手厳しい扱いをする湯婆婆に対しても、彼女の感謝の態度は一貫しています。千尋はこの不思議な世界で、感謝することを学び、思い出したのです。
神様という存在は、人間からの感謝の念によって成り立っていると言えます。
逆を言えば、感謝の心の先に神様は生まれるのです。
日本の八百万の神への信仰が生まれたのも、全ての物に感謝しなければならないという思想が存在したからです。
ハクも、川が埋め立てられて人々の記憶から消え去ったことで神としての力を失ったのかもしれません。
しかし、千尋が子供の頃に命を救われたという感謝の記憶を取り戻すことで、神としての名前と力を再び取り戻したのです。
ここで描かれている大人の代表、千尋の両親は、何かに感謝することを忘れてしまった人間を象徴しているのかもしれません。
自己中心的な態度を持つと、自分が自然や周囲の存在に支えられて生きているという認識さえ忘れてしまいます。
そして千尋の両親はその結果、大変なしっぺ返しを受けることとなります。

次回、千尋の迷い込んだ世界は「大人の世界」

へと続く

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