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差別

私はこの言葉の真意は存じませんが、個人の解釈では差がある別人と解釈をしております。
この言葉を意味する言語は世界中に存在し、言葉の意味による心の弾圧を虐げられる人々をニュースでよく見かけます。

何を持ってその差を比べるのかは当事者でしか分かりませんが、比べる事による優越感は多少なりとも私の中に存在することを理解しています。
人間である以上そのような感情は誰にでもあり、年齢層に関係なくその優劣に酔いしれる人々を私は何人も目にしてきました。

その解決策を探るテレビ番組や書籍の存在も承知しています、承知であって理解ではありません。
永遠の課題である差別は言葉と理解による解決は難しく、様々な道徳や正義感の助けも虚しくこの世界からの絶滅は出来ていないのが現状ととらえています。
根本的なすれ違いは戦争へと心を導き、憎しみによる原動力となっているようにも感じます。
私は希望という解決策を求めるのではなく、絶望から生まれるその行為のリスクによる妥協策を探るのが絶滅に近いと感じます、皆が多少なりとも優越をお持ちなのだからその感情のアドレナリンは脳を麻痺させ、開眼へと従わせるのだから弱点を見つけ洗脳に近い思考を捨て、心の底から『みんな仲良く暮らそうよ!』

この考えは少し幼稚で単純すぎる思考かもしれませんが、複雑に考え難しい言葉で説明されても若年層には届きません、本質と根絶の鍵を握るのは若年層だと私は思います、願わくば若年層にいい大人が差別となる言動と行動を若年層に見せない事を願います。

でもそれは無理なお話なんだろうな、それが出来ていればこの世界の差別はとっくに絶滅していてもいいはずなのだから。

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