二次創作に生かされている


 昔、Twitterで論争をしたことがあった。内容はあまり覚えていないが、東方(あるいはサブカル全般だったような気もする)の二次創作は好みではない、やめたほうがいいという呟きに私が突っかかって、かなり議論を戦わせた。考えてみれば、なぜそこまで熱くなったのだろうか。若かった、と表記すればそれまでだ。ところが、今でも「東方の二次創作はクソ!」という言葉を見かけたら突っかかってしまいそうな自信がある。すなわち、私はそれほど二次創作に惹かれているというわけだ。その理由を考えていると、その論争中の言葉を思い出した。
「私は大妖精という二次創作の権化が好きだから……(ここから先は覚えていない)」
  確かこんなクソリプを飛ばした気がする。そうなのだ、私が中学生のころから推して推して推し続けている大妖精は、原作ではスペルカードはおろか、立ち絵さえないのだ。それを、東方ファンの人々が大妖精という名前を付け、イメージを作り、大妖精が存在する幻想郷を作り出した。逆から言えば、二次創作が無ければ、大妖精は名も特徴もなき、ただボムを一個落とすだけのモブにしか過ぎなかったわけだ。決してそうはならず、大妖精は多くの人の二次創作によって、我々の心の中に少しずつ根付いていった。それならば、東方の二次創作を否定するとはどういうことか。それは、大妖精の存在そのものを否定することになるということに他ならない、と私は考えていた、いや、考えているのだ。ある時は優しく、ある時は弱気で、ある時は陽気で、ある時はクレイジーサイコレズな、二次創作での大妖精をどうしようもなく追っかけているからこそ、二次創作を否定されることはどうしても許せないという感情を抱いてしまうというわけだ。


 だからこそ、昔から同人誌を買いあさり、ずぶずぶと沼にハマってしまったのかもしれない。これだけ二次創作に詳しくなった余波は他にもあり、二次創作の著作権周りについての法律や情勢にはかなり詳しくなったし、同人誌即売会に出店するまでになった。(コミケにも出るよ。友達に誘われて、ハルヒのファンブック刷ります)


 ただ悪い面もあって、他の作品も二次創作を軸に考えてしまうことだ。例えば最近話題のウマ娘。二次創作でグロ、性的表現はダメ! となり、「それじゃ何も書けなくなってしまうのでは?」なんて邪推してしまった。(社会通念に照らして常識の範囲内で、ということになるだろうから心配はしていない) これは、ウマ娘を運営しているサイゲームズが営利企業であるからこそ、イメージが悪くなる創作はダメだということだろう。ナマモノだし。その点東方は、ZUN氏は寛容だし、創作だし、営利目的じゃないし、限度はあるが大方の表現が許されている。そりゃあ東方を好きになったら二次創作に行くだろう。というか二次創作の情報量が多すぎて、むしろ原作を知らない人がかなりいるし。そのような人にも寛容なのが東方界隈の良いところだ。


そして二次創作というすそ野が広がれば、様々な人に愛され、また旺盛を極めるのだ。一か月ほど前、博麗神社例大祭に足を運んだ。そこには、男女六人組の中学生、カップル、我々のような大学生、親子連れ、ご婦人方など、本当に様々な属性の方々が列をなしていた。少々感極まったのはナイショだ。東方がこんなにも愛されているのかと、心の底に刻み込まれた。
 そんなわけでこれからも大妖精に、二次創作に生かされて日々の生活を送っていく次第であります。この充足している日々がどうか末長く続きますように。

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