期待値を学ぼう、スポーツを観よう

私は多趣味な人間だ。周りからの印象では東方が好きなオタクだと思われているだろうが、他にも麻雀、小説の読み書き、ゲーム等あるが、実はスポーツ観戦が好きであるといったら意外だろうか。スポーツ少年にさせたかった親の意向で元々水泳とテニスをしていた。残念なことに真逆の青年になってしまったが、スポーツそのものは好きだ。メインは野球だ。巨人ファンで、たまに現地観戦もしている。他にもサッカー代表戦やテニスの4大大会、卓球などをテレビで観戦している。そんなわけで今回のオリンピックも楽しみである。実は柔道とバスケのチケットが当たっていた。一生に一度の経験、楽しみ(^ー^)…

ええっ、無観客!?


まったく驚いた。無観客の理由は簡単で、感染を抑えるためだろう。いや、正確には死者の数を抑えるためなのだが、なんの印象操作か、感染者数が増えるのが絶対悪とみなされている。死者の殆どは高齢者で、高齢者のワクチン摂取はかなり進んでいるというのに。

いやいや、それでも命が最優先だ、という意見が出るだろう。はっきり言って間違いである。なぜなら行動制限をすることは経済の悪化に繋がり、自殺者を増やすことに繋がるからだ。コロナの死も抑えながら、人々を動かして経済を回す。このようにして病気による死者と自殺者の合計が少なくなるようにするべきなのだ。不謹慎な言い方だが「死者数の期待値」(ここでは、死者数が減ることを期待値が高いと捉える)を積み上げて行かなければならないのだ。(ちなみに高齢者だろうが働き盛りの人だろうが命の価値は平等だと定義する。それを云々言うのはまた別の議論でやってください)

ところで、この世は基本的に期待値で動いている。なぜなら期待値のある行動というのは我々にとって得な行動であるからである。例えば同じ製品ならより安い方を買う。そのほうが得だからだ。知らず知らずのうちに我々は得な行動をするよう動いているのだ。

また、期待値は当事者がそのものの価値をどう捉えるかによって変わる。例えば自販機で買う100円の水と150円のお茶。値段だけ見れば水を買うが、お茶を買う人もいる。それは、お茶の価値が水より1.5倍以上あると考えているからだ。そう考えると、損得抜きの感情と言われるものも期待値で説明がつく。見ず知らずの人が溺れているのを助ける人がいたとしよう。一見損な行動を進んでやったように見えるが違う。その見ず知らずの人を助けることに非常に高い価値を見出しているから貴重な自分の身体を危険に晒しても助けるのだ。やはり期待値で動いている。(ここでいう価値とは打算的なものも、そうでないものも含まれる)


そんなわけで期待値は我々を支配しているということがわかったところで、本当にオリンピックを無観客でやることが死者数の期待値を高めることに繫がるのか…という話である。おそらく違うのではないかと推測する。オリンピックというライブエンタメのシンボルが無観客であるのは、他のライブにも波及する。経済は悪化するだろう。一方ライブに行く高齢者は少ないだろうから、コロナ死者数が増えるとは考えにくい。やはり有観客のほうが良かったのではないか。というのが私の意見である。


これまで結論を言うと、

うええーーん、オリンピック生で見たかったよおおお


ということである。ところで誰か、秋になったら巨人戦を見に行きませんか?













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