あれ?ここにあったお店ってなんだっけ?映画『モラトリアム・カットアップ』
「卒業してもずっと友だちだよ」と、小学生の僕も、中学生の僕も、そして高校生の僕も言った記憶があります。だけど正直なところ、誰に言ったか覚えていません。
他にも、角にあったお店がなくなって更地になり、しばらくすると「あれ、ここにあったお店ってなんだっけ?」と思い出せなくなることもよくある話で。
少しさみしくて悲しくなるけれど、乱暴に言えば「忘れてしまっても差し支えなかったこと」とも言える。でも当時は絶対に忘れないと心に誓ったり、忘れるはずないと思っていたことばかりのはず。
やるせない、言いようもない虚無を感じる。なんて思っていたら、これらが描かれた映画がありました。
今回ご紹介する映画『モラトリアム・カットアップ』は、忘れることに必死に抵抗する男の物語です。
本作の主人公・フミヤは、アナログ放送が終わることに頭を悩ませている変わった男。
デジタルが嫌いなわけではないけれど、アナログがダメな理由はないはずだ、もっとできることがあるはずだと。
携帯電話もいいけれど、みんなが集まる喫茶店があるから大丈夫じゃないか。急用があれば家の電話にかければいいじゃないかと。
このままでも楽しいじゃんと、いろんな理屈をつけて変化を恐れている。
今でさえ、昔の思い出を忘れてしまうことがある。さらに、忘れてしまったことも忘れてしまったり。もっと言えば、忘れたことを忘れたことさえも忘れるのではないかと。
映画を見ていると、最初はただ恐れているだけに見えるフミヤの言い分が、少しずつわかってくるから不思議です。
デジタル化が進み、どんどん便利になる世の中において、デジタル製品を使わない手はありません。しかし、使ってしまうと元に戻れなくなる。今まで不便だと思っていなかったことが、急に不便に感じるリスクがあるわけで…。
LINEなんてなくても、次の日に会って話すだけで十分に楽しかったはず。
会えない時間に、次は何を話すか、いま相手は何をしているのか、いろいろと想いを募らせていたはず。
これらの、ある意味で限定的だった「楽しみ」がデジタルになることで消えてしまうと、フミヤは本能的に理解している。だけれども、時代の変化は止められないし、誰もが変化し続けていく。
忘れてはいけないと思いながらも、結局は忘れてしまう悲しさが詰まっています。
本作を見ることで、自分が大事にしていた物や事を忘れないために何ができるだろうかと、深く考えるきっかけになると思います。
センチメンタルなテーマではありながら、悲しくならないコミカルな視点で描いている貴重な映画です。
ぜひアナログ時代を思い出しながら、そしていつかは忘れてしまう悲しみに、いまだけは忘れないと思いながら見てください。
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