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結局は「やったー!」で終わる映画が最高なんだよね

映画が好きで、ライターをしていることもあり、人よりたくさんの作品を見ているけれど、結局は「やったー!」で終わる作品が最高だと改めて思った話。

映画が好きになるきっかけは人それぞれだけど、胸糞悪かったり、胸がかきむしられるほど悲しいラストだったりする作品じゃなくて、アクション映画などに代表される気持ちのいいラストが待っている作品から好きになることが大半だと思う。そもそも子どものころはそういう映画しか見ないし受けつけないよね。

しかし、映画が好きになるにつれて、もっと深いやつ、重いやつ、考えさせられるやつを求めるようになって、当初の映画に対する思いから、人生の一部のように、ものすごくねっとりとした関わり方になってしまう。この映画は自分に何を与えてくれるのだろうか…など上から目線で。

何を隠そう、私がそれだ。

ストーリーとドキュメンタリー要素を重視するようになってしまい、映画を見ながら心の中でいろいろと文句を言いいながら鑑賞するようになっていた。現代の設定においてSFを混ぜ込むならある程度のルールが必要になるとかなんとか勝手なことを言い出したりしていた。そもそもフィクションにマジでツッコミを入れるやつがいるかよ…。どんだけナンセンスなんだよと自分で自分を叱りつけたい。

いいんだよ別に。猿と人間の立場が入れ替わった世界に地底人が登場するような、お腹いっぱいこってりたっぷりストーリーでも楽しければいいんだよと。天気をあやつれる女の子の話に時空を超えて心が入れ替わった男女が出てきてもいいんだよと。もっと寛容になれよと。

お前と映画の関係は、そんな重箱の隅をつつくようなものじゃなかった。全部を受け入れる懐の深さを持っていただろと。なんなら詰めの甘い脚本や展開でも良きように補完してやってただろと。全肯定のスタンスだっただろと。映画にもっとキュンキュンしてたし、ビビビッときてたはずだと。

NetflixやAmazonビデオで検索するときに、自分で気がつかないうちに、なんか斜め上から見てる。「おすすめ」に表示されている作品を素直に再生できないお前はどこからやってきたんだ。

目を覚ませよと。自分に言い聞かす。

「世界の片隅で悪いことを考えている奴が衛星システムをハッキングしてミサイルを飛ばしてくるだと!? そんなの俺が許さねぇ! ショットガンだけで解決してやるぜ!」

って作品が大好きだったときの自分はどこかに行ってしまったのかと。

胸に手を当てて考えてみる。

ほら、まだいるはず。

ダイハード3を見て、3リットルと5リットルの容器から4リットルを測り、爆弾の起爆をストップできるのは自分だけだと勘違いしていたし、リーサル・ウェポン4を見てキレッキレのカンフーを魅せるジェット・リーに対抗できるのはメル・ギブソンと自分くらいだと思っていただろうと。

いや別にアクション映画以外をディスりたいわけではない。それらの作品も大好きなのだ。でも、もっと映画に対して素直になっていい。エンタメにもっと甘えていい。

クライマックスでドキドキソワソワして、ラストシーンで主人公とヒロインがキスして、心の中で「やったー!」と叫んでパンフレット買って帰る素晴らしさを思い出すべきなのだと。

あぶなかった。41歳になってもう一度気がつけたこと、本当によかった。映画に対して斜に構えてた自分にさよならだ。ここで素直になれてまたアクション映画も心から楽しめる自分にありがとう。

世の中、ミーハーになればなるほどハッピーに過ごせるとは聞いてはいたけれど実践できていなかった。でもちょっと素直になれば可能なんだよな。今日から俺のNetflixとAmazonビデオがより加速する。


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