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徒然に考えたこと

コロナの患者数が爆発し始め、とはいえ大運動会は行われている昨今
いかがお過ごしでしょうか
先月は学びな月だった

課題を出されたり、クリアしたり云々

また、物理的にと同時に見直しも図った

そのような中で感じたのは、対価としてのお金という存在について

自分はまず、舞台や作品を見せる際は、やはり見たり聞いたりする方の時間やチケット代に対する責任は必要と思っている
たとえば、それが例え無料の配信であろうとだ

自分がやっているラジオ読み合わせ配信が、昨年に比べて回数は今年は少ない
昨年よりも現場が増えていることもあるけれど、個人的には出演者を選ぶ方向であるからだ
同期が、客観的に聞いても今の方が聞きやすいという

たしかに演技の差以前に取り組み方の差がでていまっていたのだろうと感じてきたのだ
これは、多分俳優目線では、ないのだろう

自分自身も個人で17や、radiotalkで一人でリーディングを展開している
この二つはライブ機能で、かなりシビアに目の前に突きつけられている

しかも、投げ銭、コメントという機能があるから、余計シビアだ
こちらをやり始めたせいもあり、余計シビアになってきたのかもしれない

ギャラを支払えない代わりに、noteで、プロフィールを紹介する
紹介されている限りはやはり、責任は持つべきだよなと思うのだ
聞いている方が、特に演劇対象者ばかりではないせいもあるが、反応はシビアだ
やはり評価はそれなりに下されてしまう

視聴率は関係ないとかつては思っていたが、聞き手の正直な評価には目を背けてはいけないと改めて思う
まず、ご本人の意思がちゃんとない場合は、よろしくない
更にオファーしても回答なしで、体調が悪いと他者から聞いたが、それがどうやら嘘だったというパターンもある
いい加減な気持ちで参加していたのかと人間性を疑うこともあった

だが、反面教師で自分は受けたものはやり抜く、無理なら受けないをしよう、ノリで全てをなすのは全てに対して失礼な行為だということも実感できたからよかったのか

演劇はコミュニケーションで成り立つと私は信じている
だがそれを蔑ろにするものもいるのだ

面白いもので類は友を呼ぶのだろう
道が異なると疎遠になり、情報すらはいらなくなる

毎日ライブ配信しています
宜しかったらいらして下さい

#ラジオ #責任#コミュニケーション

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