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建築事務所での下積み時代、そして海外へ
就職活動をせずに、建築設計事務所に行くことが決まる
専門学校に行って2年が経ち、周りは就職活動を始めていた。僕は2年遅れで学校に入ったのにいい加減な学生で、面接にも行かず進路も決められていなかった。この先が全然見通せていなかったのだ。
「フリーターになって海外に行こう」
そんなことをぼんやり考えていたとき、自分の設計事務所を持っている非常勤講師のA先生に「人が足りないからバイトに来てくれ」と声をかけられた。
僕は優秀な生徒ではなかったが、他の生徒が必死に卒業制作に取り組む中、すでに終わらせていたので時間があったのだ。昔から夏休みの宿題は早めに終わらせるタイプだったのが、功を奏した。
2日間徹夜で、A先生の手伝いをした。その働きぶりが評価されたのか「堤くん、なかなか根性あるね。ちょうどスタッフが辞めたところだからうちに来ないか?」と誘われた。
コネや学歴も重視されるこの世界で、高卒の僕がアトリエ系設計事務所に入れるチャンスなんてめったにない。(アトリエ系事務所とは、主にオリジナルなデザインや意匠を重視した建築物を手がける個人事務所のこと。組織系設計事務所に比べると、比較的小さめの物件を担当することが多い)
さらに当時は、他でバイトしながら無給で1〜2年インターンをしてやっと雇ってもらえるという世界だった。僕は最初から最低限の生活が出来る給料をもらえたので、かなりまれなケースだ。
これは大きなチャンスだった。僕は海外に行きたい想いはまだ捨てきれなかったが「せっかくの機会なんだから、挑戦してみよう」と、A先生の事務所に行くことを決めた。
滝に打たれるか、事務所に行くか?
今でも残っているが、昔は建築業界は厳しい業界ではあった。事務所に入る前も「この業界に入るんだったら、普通の暮らしはできないよ。結婚もできないと思ってた方がいいと思うけど、それでも大丈夫?」なんて脅されたことを、A先生から言われていた。
厳しい世界だと分かりつつ、覚悟を決めて入った。
仕事はだいたいいつも朝までかかった。朝に帰宅して、シャワーを浴び、少しだけ寝てすぐにまた事務所に行くという毎日。休みも、月に1日か2日あればいい方だった。
ほとんど寝られず仕事詰めの日々に、神経はすり減っていった。
クリエーティブの力で人がもっと本質的に豊かな状況を作り出す活動費に使っていきます。 先ずは自分自身で体系化出来た事などをお伝え出来ればと思います。 次に、過去にクリエーターズシェアオフィスや、デザインアートの実行委員長をしていたように、周りの人と共に新たな活動をしていきます。