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論理性やら仮説思考やらなんとやら

論理性の高さなど、諸々な面において尊敬している知人が「論理性」について語っているnote記事が目に入る。シェアしているFacebookに長文コメントを投稿してから、こういうのこそnoteに残しておくのがよいのか…と思い至った。時間もないので、コメント状態のまま転載。
駄文ではあるが、日ごろの仕事において感じている違和感の一端を多少は言語化できたと思っている。

(以下コメント)
「ポジティヴな姿勢」に到達できない自分は、まだまだロジカルさが足らないのだと反省できました!(まあ、yumiokaさんたちと比べたらロジカルさが足らないには違いないのですが…)

「良さそうな仮説」と「背理法」の議論についても考えさせられました。我々の現場だと、例えば(コンサル・クライアントいずれかの)偉い人が言った着想を仮説化し、その妥当性を論証しにかかる場面が確かにあります。一応、オプションを想定することで一定の比較検証を行いつつも、価値判断軸と〇△×判定自体に恣意性が入ったりもしますし。(まあ、「正しいけど実行されない仮説」よりは「多少怪しいけどやり切ってもらえる仮説」のほうが価値がある、という面もあるのですが)

他方、最近は「アジャイル」という名の走りながら考えるパターンも多く、あれを極めて好意的に解釈すると可能性を潰しながら最短距離を探る「論理的」アプローチなのかもしれないなと思いました。まあ、最短距離を探る、という時点でyumiokaさんの考える「論理性」とは異なる気もしますが…。

個人的には、制約条件が少ない状況下では、「あれも違うこれも違う」的な思考が首をもたげ、色々棄却を脳内で繰り返している気もします…(単に優柔不断なだけ、とも言いますが)

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