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ふしぎな欲求

カラダがついて来なくなって、心が鈍磨してきて、湧いてきたのは「このまま、タスク量セーブしてぬるま湯でいること」への嫌悪感と、

空白ゾーンを放置してる

という感覚だった。
新卒の時は、専門性を極めるキャリアになるだろうと業界的に考えてて2〜3個目の部署がキャリアの深化場所になりそうだと考えてたのに、蓋を開けてみたらわたしはオールラウンダーと言えば聞こえがいい、何でも屋で、「できません」ではなく「なんとしてでもやる(にはどうするか?)」働き方を続け、専門性なんかなかった。

しかし何でも屋といっても、“この業界、この会社では”というだけで、広く俯瞰してみれば井の中の蛙というやつだ。

組織組織した指示系統で、管理されるとか。
コツコツKPI数字を積み立てるとか。
そういう正統派はなく、年間でぼかんと大きな売上を作って年間では目標達成とか。
なんだかんだ少ない予算内で実現して、数年後に利益につながった、みたいな。
王道理論の閾値を、毎年毎年更新してきた感じだ。
管理されたことがないから、そんなこと許されてたわけで、力技でまさに「捩じ伏せる」だけの働き方。

ロス率改善のようなものは、仕組み化したり、進行ルールの策定だったりで得意分野だったが、特殊業務の整理整頓。
なにより、会社自体が「数字」を指標に据えてない、目安にすぎない環境。
自分でも、損益の境界線として活用してた感じだった。

このまま、ぬるま湯でノラクラするのは可能だった。いい会社だった。安定していて、自由で、無茶苦茶で、バリバリやろうともやらずとも、真の多様性が良くも悪くも許される盤石な土台。

それでいいの?

って、聞こえている。
もっとできるはずだ!とか、もっとキャリアを!とかでなく、この人生やらカラダやら、一部しか使わないで終わるんだ、みたいな。

子供を産まずに、四十路も見えてきている。
そのことにも、少しいろんな想いもあった。
自分で選び、決めたこと。
しかし、機能を使わず、ホルモン不調になって、生物としても、会社員としても中途半端。

今から専門性をというより、余白にどんどん挑戦してみたい、とふしぎな欲求が、久しぶりに、仕事タスク以外で芽生えた。

3ヶ月の間、丸々1日休みがない繁忙期。
地方労働へ向かうため、羽田空港にいた時だった。

このまま、別の飛行機に乗ったら、全く別の土地へ行く。


その誘惑に似た、「真逆の環境を見てみたい」衝動。
そういうことって、あるよね???

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