バービーを観た

モヤっとするなぁ。笑

なんでだろう、もやっとの気持ちの正体を紐解いてみたくて書いてしまった。

フェミニズム共感できるか論

私はそんなにフェミニズムな方ではないと思っている。
というとやや語弊はあるかもしれない。
女であるから女性観点だけれども、そこに重点が置かれてるわけではない。
アラサーだし独身だしOLだし文系だし、関西出身だし、そう言ったこと要素全てで「xx寄り視点」であり自分についてるいろんなタグの中で女性であること、に重きを置いてはいない、が正しいのかも知れない。

社会構造して男性優位を否定するつもりはもちろんない。
女性が部長になると頑張ったんだねと言われ、子供の有無を気にされる。

無神経な、また場合によっては無自覚な差別や印象で苦労してきた女性が、女性であるが故の待遇の違いに対してのセンサーが精度研ぎ澄まされていて、声も荒げたくなる気持ちはわかる。
私はそこで苦労したと肌感覚で実感したことは正直あまりない。のでわからないのかも知れない。
(とはいえ、結婚しないの?子育て?男の人立てられないとか言われると腹が立つなと思うようになるのはわかる、政治活動に反映させようとか発信活動をしたいと思うほどの気持ちではない、だけなのかもしれない。少なからずこれは私の中では強いフェミニズムではない。)

あんまり女性女性で権利主張するのもね!って私があえて言いたくなる理由=今回のバービーにもやる理由

そしてそんな前置きしたくなる気持ちの正体はきっと、自分をフェミニズムだと思われたくない。だと思う。そこに他人の目が介在している。

フェミニズムはわかりやすい。わかりやすいので扱われやすく白熱しやすい。会社役員や管理職の女性比率など、大きな構造ごと変えないと変わらない(変えるべきか、どこまで変えるべきかについては議論の余地があるのでさておきたい)テーマなので全体に呼びかけたくなるというのも理屈でも、一アラサー女子の気持ちとしても腑に落ちる。

しかしあえてそこで今回がバービーを観て感じたのは、フェミニズムを扱っているが、制作側の主旨は『他人の目を介在させて生きるな、他人軸はダメだ』だと私は受け取った。

みんな誰かからの評価とか関係性に縛られて生きている。
そして周りからの評価に左右されるものは多い。
ビジネスだってほとんどこれに漬け込んでいる(言い方が悪い)
ブランドの鞄持ちたい、大きい結婚式がしたい、名の知れた会社に行きたい、有名な大学に進学したいとかとかとか
みんな自分がよく考えたら何者でもないことわかっている。実績や肩書を抜いたら自分を語れない人は山ほどいるんじゃないか。
それぐらい、他人の評価がくっついてくる権利や地位や、タイトルお金は自分のアイデンティティと切り離せない。

どんな人生を歩んでも平等にみんなが(同じ文化圏に住む人は)価値を感じるのは美しさ・お金・権利・愛着(浅く考えるとそれは結婚になる)でありそれらは羨みの対象となると聞いた時の納得感とこれらに関わるものは売れるというマーケター理論は大納得。

そして人のためじゃなく自分のために美容も買い物もするんだ、が良しとされているとこと最近。バービーも然り。
私が中学生でニコラ(懐かしすぎ🌱)読んでた時はもっとモテ訴求されいていた。めちゃモテ委員長なんて漫画も流行っていたし一瞬ロールモデルだった確かに。

大人になって自分が取り組む何かのことを自分のためにやってるから!って言うことが増えた。
でも結局、結局、!
それっぽくそれっぽい理由をつけているけど自分がある程度身なりに気をつける理由は人からよく思われたいからであり、ある種ちゃんとしてる人だと評価されたいからである。

作中でもあった、痩せたいじゃなくて健康的でありたいっていうと誰からも批判されないことに気づいてしまったから、みたいに。
職場でも初めてのデートでも不潔だと非難される。なんなら私も非難する側だ。せめてプリンぐらい染めなよ、、、爪メンテできないなら自爪にすればいいのにとか、全然思ってしまう。

人からどう思われようが関係ない、自分の人生を生きろ、他人軸で生きるな!

わかる、けどほんとにそうか???

自分でも人からどう思われるかよりやりたいことをやるって言っているけど、絶対に他人からの評価は私の物事の判断基準に影響している。

他人にどう思われようが関係ないは正義か???


いい暮らしをしたい、評価されたい、そんな気持ちに縛られるのはよくないことだと思う。時々縛られている自分に気づくこともある。
フェミニズムじゃないですよ、というのはただの背景説明ではなく私の人からどう見られたいかが跳ねていた。
こうやって振り返ると、私は
いわゆる人に頼って生きていきたい女子らしい女子ではないです、が自分のアイデンティティでもあり、人からそう見られたい自分像でもあると実感する。

けど、それをうまく活用する術があるのであればそれを真っ向から否定するのも私は違和感がある。だからかなり、性別に囚われるな、他人じゃない自分は自分の強い終わり方に私はモヤっとしたんだと思う。

いい暮らしをしていると思われたいから収入を上げたい。だから仕事を頑張る。なりたい自分像、人からこう見られたいからがモチベでそう思われる振る舞いをするでも別にいいんじゃん。

万事において同じことが言える

女性であって損をすることはある。きっとこれからも出てくる。けどその分自分が活かせる立ち回りもある。

関西弁だってそう。研修担当した時に関西弁だと印象が良くないこともある。けどそれが場を和ませることもある。

物事全部にいい面も悪い面もある。
バランスだし、自分がそれをわかった上で自分が持っている特性、強み、自分の一部だと思って使いこなすマルチタスクツール(ロボ🤖の手みたいにだしたい時に出したいものを出せる)ようなイメージでそれも自分って受け止めながら、それでも耐え難きは何なのかちゃんと考えずに何でもかんでも差別だっていうこと、私はちょっと違うなと思う。

まとめるといろんな変数のバランスが大事だと思うんよね。

書いてて思ったけど私の最重要視してるのはバランス、だと思う。
バランスの取り方が大事な中で、自分は自分!にやや偏ったまとまり方に見えたのがもやりポイントだった、、かも?

バランス大事話でいうと
well-being促進領域の仕事をすることが多いので最近よく考えることがある。

幸せ感じることと野心は相反するのか

足るを知る、すでにもう自分が持っているものを噛み締めるのが幸せだとしたら
野心は自分が欲しいものを手に入れるために理想と現実のギャップを埋める、今ないものにフォーカスを当てて行動するモチベーションだと思っていて、
すでにあるものに目を向けるのか、まだ手に入らないものに目を向けるのか
一見逆に見えている。

令和ではwell-beingが声高に叫ばれる時代だし、わかる、それはそれで本当に大事と思う私もいる。
けど野心を今時ではない、ダサいと思うのも違う気がする。
野心も分解すれば何かをするモチベで、人の原動力で、スパイス的に必要なんじゃないか、少なからず私はスパイス多め、課金でラーメン激辛選びたいタイプなので私にはそういう気持ちも必要で。

野心かwell-beingか
女性であることに囚われないか、女性であることを活かすか
人前での関西弁は意識が逸れせてしまわないよう頑張って直すけどアイスブレイには活かせるとか

全部どっちがいいでもなく、
その時々のタイミング、まわりの状況、自分のコンディション、いろんな変数のバランスボールの上で片足立ちしてみんな生きてると思ってる

から私にはバービーはバランスというよりどちらかに寄ったものに感じられたからモヤっとしたのかな。
それも、私が私のフィルターを越しにそれがテーマだと思ったを受け取った上での感想だし、人によって違うテーマだと感じるのが人と映画見るおもろさだよなぁ(映画見ようよお誘い待ってます)

あとお洋服キラキラで超可愛くて制作費の中の衣装費割合とかも普通に気になったし、可愛かった、まじ可愛かった、最後にバービーごめんな粗末に扱っててと20数年越しのごめんを込めて感想文おわりっ!

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