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わたしは対話したい

先日、電車で起きたとある出来事
そこから感じたこと。
そしてその出来事を共有した時に感じたこと。
つらつらと綴っていきます。

ちょっと前のツイートを深堀りしてみたの

雨の日に電車で起きたこと

仕事場に向かう途中でした。やや混雑していた休日の電車の中。
乗車率80%といったところでしょうか。ギリギリ人と人が触れ合うか触れ合わないかの車内でそれは起こりました。

その日はちょっと強めの雨が降っていました。
わたしも濡れた傘を腕にかけ、リュックを前に背負い、座席の前に立ってスマートフォンをいじっていました。
その時です、右腕にドンッ!という衝撃が走りました。
スマートフォン越しにわたしの腕に丸い何かが当たったのも確認できました。
「え?!痛い」と思い、ぱっと前を見ると、座席に座っている男性がわたしをにらみつけていました。
「え?!痛い」と、鳩が豆鉄砲食らったような顔したわたしに、彼はにらみながら「当たってるんだけど」と足元を指さしました。
見ると、私の傘の先が彼にあたっていたようでした(見た時にはあたっていなかったので、私が動く前にあたっていたようです。)

「わ!ごめんなさい大丈夫ですか?」と声をかけても彼の表情は変わらず。
そしてその言葉に答えてももらえませんでした。
「大丈夫…だったのかな?」とその場をやり過ごそうとしたのですが、わたしの中で腑に落ちない感覚が走りました。

腕が、痛いんです。

確かに、傘を当ててしまったのは私の不注意。100%わたしが悪いです。
ごめんなさいです。
でも、なぜ、腕を殴られなければいけなかったのか。それが腑に落ちないのです。この痛み、さっきかすかに目視できたのは彼の手。おそらく当たり方として、グーパンチをされた。痛い。でもこの痛みは私の不注意の代償?え?それおかしくない?

そんな思いがぐるぐるし、わたしはこの疑問を、本人に聞いてみることにしました。

「あの、すみません。さっきの…傘が当たったのは確かにわたしの不注意です。ごめんなさい。でも、あの、なんでグーで殴ったんですか?呼びかけ方って他にもありますよね?」と。

すると、彼から返ってきた言葉は「お前が傘をここにあてたから悪い」という言葉。「あ、それはすごいごめんなさいなんですけど。私が聞きたいのは、呼びかけるときになんでグーで殴ったんですか?ってところです。痛いんですけど…」と返すと、彼はわたしに聞こえない大きさのでごみょごみょと何かをつぶやいていました。

私の質問には、答えてもらえませんでした。残念です。
彼も私も終点で下車したのですが、その後もにらまれ続けたので、駅員さんに事情を話し、彼が見えなくなるまで一緒にいてもらいました。
とても安心しました。駅員さんありがとうございます。

わたしだったからなのかな

というのが一連の出来事です。

わたしの被害者意識が強い、と感じられたら嫌だなと思うのですが、これ、わたしが、めっちゃ強そうな人だったら、彼は殴らなかったんだと思うのです。
わたしは154cmのやせ形で、自分で言うのもアレですけど、かなりの童顔です。めちゃくちゃ若く見えます。それが例えば、男性でめちゃくちゃ鍛えてて、ぱっと見喧嘩が強そうなオーラが出てる人だったら、彼は腕を殴ったでしょうか?

と、私は考えてしまうのです。

そしてこれ、乗車率80%の車内で起きた出来事なのです。私と彼の周りには、たくさんの人がいました。でも誰一人、私と彼の話に入ってくる人はいませんでした。
助けてほしいとかは全く思っていなかったのだけど、わたしが間違っているのかな、殴られるのは当たり前なのかな、と不安になったのを覚えています。そして、わたしが起こしたアクションは、この車内の人にとって迷惑行為になってしまったのではないか、と不安にもなりました。

そして、わたしは間違っていないと思っているけれど、世の中の正義は彼のほうが正しいになっちゃうのか…とも感じました。

後日、この話をアメリカやヨーロッパに住んでいた友人に話したところ、「海外だと高確率で話に入ってくる」と言われました。
そうなのかー、海外だとあの場面で声をかけてくれる人が多いのか…
もし似たような出来事が起きたときは、わたしも声を掛けられる人になりたいなー

そして似たような、ちびっこ&童顔の友人ともこの話になったとき、似たようなことがよくあると話していたのも、なんかなーってなりましたよ。

さらに言うと、その男性、お子様連れだったんです。それがわたしの中ではとても引っかかっております。世の中いろんな人がいるね。

対話がしたい

その人を責めたい、と思ってこれを書いたんじゃないんです。
わたしはその時に、わたしのなかの「なぜ?」を聞いたのに、その答えが返ってこなかったこと、そして、その「なぜ?」を声に出すことが、とてもリスキーであること、に疑問を抱いたのです。

この話、いろんな人にする中で、「それ聞いちゃ危ないよ」という声がすごく多い。じゃあ、わたしは殴られて当たり前なの?その理不尽に対して、根気強く耐えなきゃいけないの?なぜ?という新たな問いに直面するのです。

わたしはただ、その男性と話がしたかった。でもそれすら危ないことになるこの世の中っていったい何だろうって、すごい大きなところへの疑問がわいてしまった出来事だったのです。

この問いについて答えはなかなかでないと思うけど、この問いにたどり着けて良かったと思う。

後日、電車で

数日後、電車でアイスソイラテを盛大にひっくり返し、床にこぼしてしまったのです。「ティッシュ~」と慌ててかばんをあさっていたら、制服姿の学生さんが、すっとティッシュを差し出し「使いますか?」と聞いてくれました。「え?!神!!」と思ってもごもごしていたら、さらにスタイリッシュにスッと床を吹き出してくれました。

その姿に触発されたのか、周りの女子高生らしき団体の子や女性の方々が吹き始めてくださり(もちろん私も拭きました)
「ごめんなさいごめんなさい」を連呼しながらみんなで拭いてたら、女子高生がフフッと笑い出し、周りのみんなもなんだかおかしくなって笑いながらふきあげるという、めっちゃ優しい世界線ができました。

本当にありがとうございます。そしてごめんなさい。
物価高騰の中大事なティッシュを…

おわりに

世の中には本当にいろいろな考え方を持っている人がいて、この記事を読んだ人が感じることもそれぞれだと思う。でも、それでいいと思う。ただ、暴力じゃない方法だといいなと思う。
グーパンチが暴力じゃないという人もいるかもしれない。でも、それが暴力だと思う人もいるって言うことを分かり合う方法は、対話でありたいと思うの。


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