生きづらい世の中なんてさ

やだよね〜 と思う。

といっても、そもそも生きづらさってなんだと思いますか?何からくるものなのかな〜


21年しか生きてないですが、私はそれぞれの持つ"自意識"に原因があると思ってます。

前の木曜日にアメトークで生きづらい芸人をやってて、私は生きづらそうに生きてる人が大好きなのでたまらず録画して見たんですが、やっぱり自意識だな〜というか…。あ、というかパンサーの向井さんが生きづらい芸人なの意外!みたいに言われてたけど(そういう構成かなとも思いますが)(バラエティ番組を嫌な見方をするな) 私からすると全く意外じゃない。見るからに生きづらそう。世間の"パンサー向井"像と本人のもつ性質との乖離がめちゃくちゃ大きそうな人だな、と思う。それもやっぱり自意識から来るものだと思うのです。

自意識、自意識って言ってるけど、生きづらい、と感じる結局のところは自意識が過剰だからかなと思う。

あ、この"自意識過剰"に悪口の意図は全くないです。人って自分が思っている以上に自分に興味がなくて、自分のことしか考えてないんだよね。 

でも、他人から見える自分がどう映ってるか興味があるし、誰かと関わるならよく見られたいし、とか、自分がどう見られてるか、をめちゃくちゃ気にしてるな、と思う。生きづらそうにしてる人は。そんなことなくても、無意識のうちにしてる。のだと。思います。

他人によく見られたいというか、迷惑をかけたくない、とかも似たようなもので、実際の私よりも"出来る人間"を演じるのが上手い!というか…。そう…優秀にみられたい……とここまで書いて何書きたいか、何を伝えたいかわからなくなってしまいました。

え~・・と・・・・。

とにかく、私が思うのは、鈍感に生きることも悪いことではないということです。


今日もオードリーの反省するテレビ(正式名称忘れました)にパンサーの向井さんとか吉住さんが出てたので、書きかけのnoteを思い出して投稿している訳でございます。なのでここからは6/9、日付が変わって6/10に書いています。

アメトークの方で、向井さんが「"パンサーの向井"は高校生の自分が一番嫌いな芸人になっちゃった」(ニュアンス)みたいなことを言っていて切なくなったのを思い出しました。切ない〜いつでも自分のことを好きでいたい!

"自分の好きな自分でいる"ことの難しさたるや。難しいよ〜努力できない自分嫌だし、他人を羨む自分も嫌だよ。でもそれも自分であって、私の人生に最後の最後まで付き合ってくれるのは結局自分しかいないので。だったら自分のことを好きでいたいよなあとは、思うのですが…。難しいことだなと思います。

多分、他人からの評価を求めるよりも、自分で自分につける評価を高めていった方が結果的に幸福指数が上がるし他人からの評価も上がるんだと思います。が、それが出来ないから悩むんだよね、きっと。難しいーー。

やっぱり、生きている以上、他人からの評価、他人からの承認が必要不可欠なんだろうな、などと思いました。