#60 ◆文章投稿スランプなあなたへ
どうも!対話師の保田です。
本音の対話で食べていく人を増やす為に、自分と向き合うことの重要性や想いを言語化する力について発信をしております。
本日は「文章投稿にスランプを感じているあなたへ」というテーマでお送りします。
なぜなら僕自身が本日鬼ほどスランプだからです!笑
つまり僕の今の赤裸々な気持ちを言葉にしていったら同じくスランプを抱えている人にとってヒントになるのではないかという仮説のもと文章を書いていきます。
突然ですが、今日僕はスランプです。
正直何も書くことがありません。
それでも毎日やると決めているので意地で投稿し続けますが、ここ数日は言葉がすらすら出てきたので少しショックを受けています。
※ここ3日間は↑のような僕の中では比較的文字数の多い記事を迷うことなく短時間で仕上げ、投稿することができていました。
この差はなんだ?
純粋な問いが湧いてきた。
本日は正直なところ現在なんの構想も浮かんでいませんが、完全な文章発信初心者がnote記事をほぼ毎日投稿し続けたからこそわかる調子が「良い時」「悪い時」の差について考えていこうと思います。
調子が悪い時
そんなこんなで完全ノープランで書き始めた訳ですが、まずは「文章投稿における調子が悪い時のことを考えてみよう。」と思います。
と、、、意気込んだものの、タイピングする手を止めることなくその答えはすぐにわかりました。なぜなら今がまさにその調子が悪い状態だからだ。
本日はこれまでのスキマ時間に何度も記事を作成しようと、PCの前に座ったがそれぞれ10分程度考えても何も浮かんでこなかった。
そんな無駄時間を2回ほど過ごし、3度目の正直が今なのだ。
つまり「記事を書こう」という意気込みで取り組み始めるとかなりの確率で記事が書けないのである。
思い返せば、以下の記事を投稿した時もそうだった。机の上で頭をいくら捻っても記事の構成が一切思いつかない。苦しんでいる割にくたびれるだけ。
挙げ句の果てに開き直って、何も書くことがないというスタンスをとってようやく出てきた言葉を紡いでいたのだ。
調子が良い時
これは考えてみたものの、即座に答えが浮かばなかった。
それもそのはず。スランプ真っ最中な今現在の自分には喉から手が出るぐらい欲しい情報だからである。
とはいえ「調子が良い時、悪い時の差はなんだろう?」という立派な問いが立ったので、少し考えていたら2つのポイントに気がついた。
調子良く記事が書けるシチュエーションは以下の2つである。
①note記事執筆とは全く別のことをしている時にふと降りてくる
②何か一つのテーマに死ぬほど向き合った時に「あ!これnote記事にしたい」と思える
一つ一つ言語化してみよう。
①note記事執筆とは全く別のことをしている時にふと降りてくる
こちらに関しては、本当にふと降りてくるのである。ふと気づくといった方が正しいかもしれない。
例えば、仕事とは別に皿洗いをしている時。掃除機をかけている時。外で犬の散歩をしている時。
テーマが降ってくるか、伝えたい内容が降ってくるかはその時次第。
思い返すと、以下の記事は別の作業をしていて降りてきた感じの記事だったように思う。
とはいえ、このようなことが多々起こるのを理解したとしても正直コントロールするのが難しい。
あえてアドバイスするのであれば、「よく学び、よく経験し、よく考え、たまに休め。そしたら発信したいことなど降りてくる」ということになりそうだ。
もっとも現実的なところで言うと、このような気づき、ひらめきの類は何か仕事や勉強とは別のことをしている時に降りてくることがほとんどなので、あえて暇を作るというのが現実的な作戦になるのだと思います。
②何か一つのテーマに死ぬほど向き合った時に「あ!これnote記事にしたい」と思える
これは僕の中で①に比べたら断然再現性があります!
例えば、以下の記事
「自分がどんな人でありたいか」という問いに何日もかけて向き合いその過程で出てきた「劣等感との向き合い方」がテーマとなった記事なのですが、劣等感と人生の関係性について自分なりに構造化できていたからこそすらすらと気持ちよく書くことができました。
以下の記事もそう。
僕自身がビジネスをする上でコンセプトを考えている最中に浮かんできた記事だ。
僕は今「本音の対話で食べていく人を増やす」というコンセプトで活動をしている訳ですが、なぜ「本音」という言葉を使うのか?
を改めて考えている時に記事を書くに至ったのだ。
今まさに考えているテーマだったので、過去一スラスラ気持ちよく書くことができたのだ。
ついついこんなに書いてしまった。
さて、本日は投稿する記事が全く思いついていないままキーボードを叩き始めた訳だが、気がついたら現時点で1,900文字。
普段700-1,000文字程度が多い僕にとっては、やや多めの文字数を書いてしまった訳だ。
とはいえ書きながら、
noteを書くためにPCを開いてもなかなかアイデアは生まれないこと
偶然の気づきや、自分が今徹底的に向き合っていることに関する記事を書くことはいつも簡単にできてきたこと
に気がつくことができたのだ。
もちろん文章発信は無理やり続けるものではありませんが、やると決めて宣言しているからこそなんとかやろうと手を動かしますし、手を動かすことで何かしらの収穫はあるものなのです。
向いていることだけをやろう。向いていないことからは逃げよう。
人生は一度きりなのでそのような考え方もまったく否定しませんが、やる前からor少しかじった程度でジャッジしてしまうのは勿体無いことです。
生産性、効率主義に限界を感じたら少しがむしゃらに取り組んでみるのも良いかもしれません。僕は結構泥臭いのが大好きです^^
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