デジタルアート市場とAIのジレンマ(短編)

とある近未来、アートの敷居はますます低くなっていた。というのも、パレットやキャンバスを扱っていた昔とは違い、デジタル機器の電源を入れ、専用ゴーグルを着用すれば誰でも仮想空間上でアートを楽しむことができるからだ。デジタルアートは爆発的に普及していた。この時代のトレンドといえよう。とある大手デジタルアートプラットフォームを受け持つ企業Kでは、アート作品競技などをはじめ、多くのコンペを開催し、誰でも手軽に作品を出展できるようにした。コンペは数時間単位で行われており、1日で出展された総作品数は数百万を有に超える。作品優秀者には賞金が付与されるなどのシステムも勿論ある。そして何より、アートには価値がある。市場が大きければ大きいほど、価値の高いアートは高価な商品となりうる。デジタルアートが世界中で流行している中、アートで生計を立てる者から、アートにより巨万の富を築く者までいる。仮想上で巨大な市場が動き回っているのだ。

企業Kは月毎に行われる企画会議で現状報告及び今後の進展について話し合っていた。
企画部長A氏は「アートは無限の創造を秘めている。創造が無限である以上、その市場に最果てはない。」と言い、不敵な笑みを浮かべながら「どうだろう。我々のプラットフォーム上でのユーザー数は億単位だ。少なくとも毎週には億を超える作品が金銭という形に姿を変え、市場を飛び回っている。ここで、作品を生み出すユーザーを更に増やしてみるのはどうだろうか」と提案をもちかけた。企画部B氏は「それはできるに越したことはありませんが、これ以上のユーザーは世界の人口を考えても難しいですよ」と異議を唱えた。「そこでだ。AIに任せてみるのはどうだろうか。複数のAIエージェントを作り、それぞれが学習したアルゴリズムを共有し合いながら作品を継続的に制作していくのだ。つまりヒトの市場にAIも混ぜるということだ。市場価値は倍に膨れるはずだ」とA氏は答えた。
斯くして、AIがアート市場に参入することとなった。ここで、単にAIはこれまでに出展されてきたヒトの作品をデータとして取り込んでいくのではない。歴史を通してこれまでにヒトが作ってきたアートの遺産をも全て取り込んでいった。
少々時は過ぎ、企業Kのとある企画会議にて、人達は困惑した表情を浮かべていた。A氏は「困ったことになった。ここまでアートの価値が下がるなんて」B氏「もはや、1人の人間が時間をかけ制作したアートは、過去数ヶ月前、いや数年前に既に考えられている状態となっています。」
人達は想定していなかった。アルゴリズムを軽視していたのかもしれない。なにせたかが人工知能における創造とは、過去の作品の踏襲、若しくはそれら同士をを組み合わせたものに過ぎないだろうと考えいたからだ。ところが、少し考えてみて欲しい。我々人間も、新たな創造物を生み出す時、何を基準にしているのかを。どういう過程を経て生み出したのかを。もしかしたら違いはないのかもしれない。そう思うと、複雑だが単純であるという両義性を秘めた我々という存在は今後どこに向かっていくのだろうか。作品を無限に生み出していくAI。その作品に限界はあるのだろうか。もし最果てがあるなら、その時の作品は一体何なのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?