三月十四日、拝啓わたし


十三年前の私へ、こうして手紙を書こうと思いいたるとは、数日前までは想像もしませんでした。

自分のことも他人のことも、身の廻りのことも、予想だにしないことというのは戸惑いますよね。

あなたも今まさに、それを実感している最中なのではないかと思います。
確か、もうそろそろ水道が復活するころかな。うちの家はガスの復旧が少し時間がかかるので、お湯が出る頃まで、お風呂はもう少しお預けです。
誰も悪くないけど、つらいね。ごめんなさいね。

ちなみに、これから先の13年間であなたはお風呂とサウナが大好きになっていくので、もしそういうタイミングがあったら「そういうことか」と思っておいてください。

過去を振り返るに、きっとこの一年のあなたは、生まれて初めて経験する環境の変化に陰ながら苦しんでいたことと思います。
後になって、頑張っていたんだな、と気がつくとは思いますが、よくがんばりましたね。
順応性があるように見せかけるのはこの先あなたの特技になっていくので、自分の心とバランスを上手く取りながら、どちらも大事にしてください。

ただ、今も充分ですが、この先あなたにはもっとずっと辛いことというのが、残念ながら訪れてしまいます。
それはあなたの心や、身体だけでなく、あなたの身の廻りや、あなたの好きな人、大切な人々にもです。
もしかしたら、知らないうちにあなたが、まわりの誰かや何か、ひょっとするとあなた自身を傷つけてしまうかもしれません。勿論そうならないことを今、二〇二四年の私も願っていますが。


そのうえで、いま覚えておいてほしい事が二つあるのです。


一つは、
「ひとは他人の痛みを想像することはできない」ということです。

これから先の人生で、沢山の大人があなたに対して、誰かの痛みを想像できるとか、あなたは他人の痛みがわかる人ですね、という言葉を投げかけてきます。
そしてその言葉を、最初はあなたもすんなりと受け入れるかもしれません。

ですがやがて、それは全く違うということに気づく時がきてしまいます。
残念ながらあなたの痛みは誰にも理解されないし、他人の傷の痛みというものを、あなたは得てして想像する事ができません。
そしてそれはあなた以外の誰もが同じなのだと、思います。
分かり合えないという事がどれほど苦しい事なのかを、そのことを通して学んでいきます。覚悟をしろと言っても無理な話なのですが、どうか気を病みすぎないように。

そしてもう一つ。
他人の痛みは想像できない、理解し得ないと知りながら、それでもなお、誰かの痛みというものを想像することを、どうか辞めないで欲しいという事です。

難しくてよくわからないよね。

でも、「どうやっても理解し得ない」という事がわかって初めて、他人の痛みを想像するという営みの価値は生まれるものだと、二〇二四年の私は思っています。

理解できない、納得いかない、共感できない
そんな出来事やモノゴト、ヒトと対した時、あなたは今もこの先も、とても苦しむ事でしょう。
それでいいんです。
それが苦しいとわかる事が、あなたをずっと強くします。
苦しむ人がいると知る事が、あなたを少しだけ優しくします。

誰かの苦しみを、理解できるものと思わないでください。
そのうえで、わかりたいと思い、想像して、理解しようともがいてみてください。

上手く言えませんが、それで救われる心というのが、きっと、確かに、あるはずです。


いきなりこんなに難しくて長い手紙を読んでくれて、本当にありがとう。

また書きます。いまはどうかご無事で。

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