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【追悼】西郷輝彦と「星シリーズ」【リズム歌謡】

西郷輝彦さんといえば「星のフラメンコ」が有名です。実は「星シリーズ」というか、おそらく本人も事務所も気がついていなかったのではないかと思うのですが、「」の付く曲がとてもに多いのです。

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■「星空のあいつ」水島哲・作詞、北原じゅん・作曲編曲(1964年)

北原じゅんというと、あの名曲「死ね死ね団の歌」を作曲した方ですね。この曲は、まあ、なんということもない青春歌謡ですね。

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■「星と俺とできめたんだ」水島哲:作詞、小杉仁三:作曲(1965年)

日活の同名映画の主題歌。渡哲也さんも出演されています。まあ、これも、どうということのない平凡な青春歌謡です。

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■「星娘」作詞・作曲:浜口庫之助(1965年)

まあ、あまりに平凡な青春歌謡ばかりなのに事務所が気づいたのか、御三家の中の橋幸夫の「リズム歌謡」に対抗しようと思ったのか、よくわかりませんが「とにかく、西郷もリズムもので行こう!」と浜口庫之助に楽曲をお願いして完成した、西郷のデル・シャノンばりのファルセットボイスを有効活用した傑作「星娘」が生まれました。

ウィキペディアによると、

デビュー当初の青春歌謡路線から、西郷自身が本来好きだったポップス系歌謡を歌うことを希望し、浜口に「僕にポップス系の歌を作って欲しい」と懇願してのコンビ結成であったという。本曲は1965年9月10日に臨時新譜という形で発売され、ヒットとなった。西郷は同年末の『第16回NHK紅白歌合戦』で本曲を歌唱している。

なお、浜口と西郷のコンビが本曲のヒットに続いて翌1966年に発表したのが…

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■「星のフラメンコ」作詞・作曲:浜口庫之助(1966年)

西郷は1966年2月にヨーロッパを旅行した際、スペインの首都マドリードで鑑賞したフラメンコに感動し、本人曰く「猛烈なリズムにシビレてしまった」。洋行から帰国した西郷が、挨拶で訪れたソングライターの浜口庫之助邸にて、本場のフラメンコを観た感動をそのまま話すと、浜口はちょうどそのころ西郷の新曲を制作する準備に入っていたことを明かし、両人とも新曲をフラメンコのリズムで制作することで意見が一致したという。
浜口の作詞・作曲により曲が完成し、同年7月1日にシングルレコードが発売されると、わずか2か月で50万枚を突破する大ヒットとなった。1963年に創立した日本クラウンにとっては空前のレコード売上枚数であり、日本クラウンは全国のレコード店に感謝状を贈ったという逸話がある。
本曲は西郷の代名詞ともいうべき曲となり、同年の『第17回NHK紅白歌合戦』では白組の一番手で歌い、歌手として最後に出演した1973年(第24回)にも歌った。
(以上、ウイキペディアより引用)

「星娘」も「星のフラメンコ」も、編曲は小杉仁三

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■「星」のつかないリズム歌謡

●「恋のGT」作詞・作曲:米山正夫(1966年)

ジャン&ディーンのようなホットロッドサウンドであります。橋幸夫の「ゼッケンNO.1スタートだ」に対抗しようとしたのでしょうか。よくわかりませんが。「西銀座五番街」のB面だったのですが、こちらのほうがヒットしたそうです。「ダッシュ!ダッシュ!ゴー!ゴー!ゴー!ゴー!」と気合が入っています。「体当たりだよ、恋のGT♬」と歌ってますが、事故を起こしては元も子もありませんね。

●「恋人ならば」作詞・作曲:米山正夫(1965年)

米山正夫さんの歌詞が「狂って」います。

♬ ダークブルーのサングラス

カモメも海もみんな碧だよ

恋も涙もみんな碧だよ

ブムババ ブムババ ブムババ ブムバ

ブムババ ブムババ ブムババ ブムバ

恋も涙もみんな碧 ♬

そりゃあ、蒼いサングラスをしていたら、すべてが碧く見えるでしょうね。それがどうした、といわれれば、すみません、と謝るしかないのですが。

個人的に西郷輝彦の歌で一番好きです。一番よく聴きました。

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【西郷輝彦さんのご冥福をお祈りいたします】

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■「ローリング・ストーンズは来なかった」(1973年)

おまけに。「タモリ倶楽部」でも取り上げられた珍曲。作詞・作曲は「夜のワーグナー」こと藤本卓也
サンタナ風のイントロから始まるアーバン・ソウルな一曲。

「サンタナ・シカゴ」というバンドがあるかのように錯覚してしまいます。

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