「ファントム・オブ・パラダイス」初めて観たとき、ぶっ飛んだ!
20年程前に深夜のTV放送で初めて見た時、衝撃を受けたのを覚えています。VHS・DVD・Blu-ray・サントラ全て保持しています。
この作品がデ・パルマの最高傑作ではないでしょうか?
全てにおいてセンスが光ります。
デ・パルマの以後の駄作と比較すると、同じ監督の作品とは到底思えませんでしたが...。
後世に残すべきすばらしい作品です。
曲を盗まれ、声を奪われ、顔をつぶされ、愛する人を横取りされた孤独な作曲家が、復讐に燃える怪人“ファントム”と化してまで守りたかった芸術と愛を、『オペラ座の怪人』や『ファウスト』を基にして描いたロックンロールミュージカルです。
本作はアメリカよりもヨーロッパでの評価のほうが高く、アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭ではグランプリを獲得しました。
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ポール・ウィリアムズの楽曲と存在なくしては成立しなかった傑作『ファントム・オブ・パラダイス』。しかしそれを生かすも殺すも監督次第。しごくあたりまえのことですが、やはりこの作品を傑作足らしめている最大の功労者はデ・パルマ本人だと言えるでしょう。
のちに映像派、技巧派として大きく飛躍するデ・パルマですが、1974年当時はヌーヴェルヴァーグの影響下にあるアート系前衛作家としての側面も残っており、そのバランスがちょうど良かったからこそ、この作品は忘れがたいカルト作として我々の脳裏に刻み込まれたのです。
冒頭のジューシー・フルーツによる演奏シーンからすでにその片鱗はうかがえ、前景だけではなくその背後で行われているモブの動きにまで神経が行き届いており、それはウィンスローが切々と歌い上げる『ファウスト』でさらなるこだわりの高みへと登り詰めます。
陶酔したようにピアノを弾きながら歌うウィンスローの周囲をゆっくりと旋回していくカメラと、その芸術に見向きもしないモブとの隔絶を示した、あまりに美しくも残酷な360度旋回。ここですでにウィンスローの過去と、現在と、未来が暗示されているとも言えます。
そしてウィンスローの曲が奪われ、投獄され、顔と声をつぶされるまでの過程をハイスピード編集で描き出した前衛的な実験精神と、顔の右半分がつぶれたウィンスローの姿を哀切たっぷりに描き出した怪奇趣味。このへんはもうヌーヴェルヴァーグでありサイレントでしょう。
ここを境にいよいよ映画はデ・パルマ演出の独壇場と化し、一人称視点による怪人ファントムの誕生と画面分割による復讐の幕開けを映し出します。リハ中のジューシー・フルーツ。彼らが乗る車に仕掛けられた爆弾。リハを見つめるスワンと、復讐を見届けるウィンスロー。
これらをおそらくは一発勝負であろう画面分割によって撮影した緊張感は、撮影時と劇中、そしてそれを鑑賞している観客たちの緊張感が見事にシンクロする離れ業。そんな離れ業はスワンとてお手のもので、フェニックスを餌にウィンスローをやすやすと懐柔してしまいます。
スワンと終身契約を結んだウィンスローの缶詰め作曲シーンにおける映像表現も、恋と時間と楽譜と鍵盤と孤独が幾重にも折り重なった素晴らしいもので、バックで流れるポール・ウィリアムズ自身の歌声によるファントムのテーマ、『Beauty and the Beast』も哀愁を誘う。
そしてついに訪れるパラダイスの開演。スワンに騙されたことを知ったウィンスローによるビーフ襲撃シーンは、『サイコ』のシャワーシーンを完全再現しながらコミカルにオトした秀逸な演出で、「フェニックス以外の者がその歌を歌えば必ず死ぬ!」との警告を発します。
その警告が現実のものと化すビーフ感電死シーンのコマ抜き編集はもはや神がかった素晴らしさで、何度観てもそのアホらしくも美しい悲喜劇に心がビリビリ痺れます。ビーフの死すら演目のひとつとして熱狂する観客たちを鎮めたのは、フェニックスの歌声でした。
これにより一夜にしてスターへと躍り出たフェニックス。成功と引き換えにスワンの所有物であることを受け入れたフェニックスは、ウィンスローの忠告も聞かずにスワンの腕へと抱かれます。ベッドの上で抱き合うスワンとフェニックス。それを天窓から覗くウィンスロー。
愛する人が悪魔の腕に抱かれる光景を、雨のなか、ただ何もできずに覗き続け、むせび泣く男のあまりに悲痛な声にならない慟哭の叫び。それを監視カメラ映像によって覗いているスワンの視線。そんな残酷な覗きの多重構造をさらに覗いている我々観客の涙にかすんだ眼球。
そして・・・あとは自分の目と耳で感じてください。
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1960~1970年代の「ロックビジネス」のパロディーというか風刺になっております。
登場するバンド&グループ、シンガー等は以下の通り。
■謎のプロデューサー「スワン」・・・先日亡くなった伝説の音壁魔人フィル・スペクターがモデルか。
■ジューシーフルーツ・・・1950年代後半のロックン・ロールの時代を象徴か。『Goodbye, Eddie, Goodbye』を歌う。
■ビーフ・・・オカマのロックシンガー。う~ん、マークボランとプレスリーを一緒くたにして作ったキャラクターかしらん。
■ビーチ・バムズ・・・1960年代に活躍したビーチボーイズがモデル。『Upholstery』を歌う。
■Undead・・・キッスのようなメイクをしているのですが。『Somebody Super Like You』を歌う。
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ラストのステージに登場したUndeadとオカマのヴォーカリスト「ビーフ Beef」は、1970年代半ばに一世を風靡したグラム・ロックを思わせます。ただし、すでにミュージカルとして有名になりつつあった映画化前の「ロッキー・ホラー・ショー」の影響という可能性もありえます。どちらにしても、この映画がロックの黄金時代をパロディー的に描いていたのは確かだと思います。
思えば、この映画の一年前に大ヒットしていた「アメリカン・グラフィッティ」の中で、主人公の一人が「ビーチボーイズなんてロックじゃねえ、ロックン・ロールは終わっちまった・・・」なんてことを言ってました。
グラム・ロックという頽廃的、耽美的なロックの登場は、ロックの最期に相応しいパロディー的なスタイルだったといえます。この映画が公開された翌年、パティ・スミスが鮮烈なデビューを飾り、その翌年にはロック時代の終焉を宣言するアルバム「ホテル・カリフォルニア」がイーグルスによって発表され、ラモーンズやセックス・ピストルズのデビューにより、パンクの時代が始まることになります。
そんな時代背景を思いながらこの作品を見てみると、過激な麻薬やセックスの描写とサイケデリックな色とデザインによって彩られたこの作品は、1970年代半ばという特殊な時代を切り取ったタイム・カプセルのようにも思えます。
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とにかく面白い。
「アホな映画」が好きな人は、ぜひご覧ください。
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