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人間が持つ最高位の徳 「中庸」

こんにちは、そうじろうです

今回は儒教の教えの一つ。「中庸」を解説していきます


現代人が忘れてしまった人間としての心を復活させる起爆剤

となりえる教えですので、
是非心を込めて学んでいってください



中庸とは?

儒教の基本的な経典である「礼記」の中に編入された教え

※「儒教って何?」という方はこちらをどうぞ⇓⇓

「大学」同様、「これは素晴らしい教えだ!」ということで単行本として抜粋しれました(※「大学」はこちらから学べます


「中庸」という言葉自体に「何事もほどほどが良い」という意味がありますが、本編ではその内容を深く学ぶことができます


「中庸」を学ぶことで得られる変化


「本物の心の強さとは何か?」という真実を知ることができる
人間として生きるべき道筋がクッキリ見えるようになる
✅周りに尊敬される程の圧倒的な人間力が備わる
✅「自分が何をすれば良いか分からない」という人生の迷子から抜け出せる
✅世間の常識に惑わされることが金輪際なくなるので心晴れやかに最期まで過ごせるようになる


「中庸」の重要項目

では、中庸について詳しく解説していきます


ただ実践するのみ

===
天の命ずるをこれ性と言う。性に率(したが)うをこれ道と言う。道を修(おさ)むるをこれ教(おしえ)と言う。
===

この文章から中庸は始まります


『要約』
天がそれぞれの人間に与えたものが本性(もちまえ)である。その本性のあるがままに従っていくのが道である。その道を修めてととのえていくのが教えである。

つまり、、、

『自分が持って生まれた能力をそっくりそのまま活かすことが、人生を謳歌する秘訣だよ』ってことです


例えば明石家さんまさん
彼は「おしゃべり」という本性(もちまえ)を持って生まれました

そして、その本性にあるがままに従っていったからこそ、大きな成功をおさめたわけです

仮に、自分のような「おしゃべりが得意でない人」がさんまさんを目指しても、まぁ上手くいかないと思うんですよね

だって、おしゃべりが好きじゃないし、得意じゃないんだから


「天から与えられた本性を活かすだけ」

人生なんてこれで良いんです

その中で、自分の道を極めるために勉強したり努力すれば良いだけ。自分のようなブサイクがジャニーズを目指しても、そりゃ無理だよねって話です


自分には自分の本性がある。そして自分の道を貫通するために努力をするのみ。人生の楽しみはここにあります


立派な人物は独りを慎む


===
隠れたるより見(あら)わるるはなく、微(かす)かなるより顕(あら)わるるはなし。故に君子はその独(どく)を慎むなり
===

『要約』
各仕事や微小なことほどかえって露見しやすいものである。だからこそ、君子は隠し事を避けるためにも、独りの時間を慎んで修養するのである。


ここ最近、
政治家や大物芸能人のスキャンダルが頻発しています

その大きな原因こそが「慎独(しんどく)の欠落」なのかもしれません


「見られていないからいいや」
「バレないから良いでしょ」

こういった邪な気持ちが、邪な行動を引き起こし、いずれ露見していくわけです


自分自身、この「中庸」を読むまでは、独りの時間を超適当に過ごしてました

You Tube見てダラダラするのはもちろん、SNS漁りをして気づいたら夜が明けていた、なんてことも日常茶飯事でした


けど、この文章を読み、学び、独りの時間を慎ん(瞑想・ストレッチ・仮眠をする)でからは、心が本当に晴れやかになりました

「無駄なことをしてない俺。やるやん!」

てな感じです


独りの時間を慎む癖ができると、邪な気持ちが消え、邪な行動が減ります

それと同時に「慎めている自分」に自身を持てるようにもなるので、自己肯定感もグッと上がるようになります


また、無駄な体力を使うこともなくなるので、一石二鳥どころか、一石三鳥、一石四鳥、くらいあると個人的には思ってます

陽明学でも「慎独」は重要なファクターを占めていますので、しっかり日々の生活で意識していってください(「陽明学って何?」という方はこちらの「陽明学入門編」をどうぞ)


自己流は事故流

===
愚(ぐ)にして自ら用うることを好み、賊(せん)にして自ら専(もっぱ)らにすることを好み、今の世に生まれて古の道に反(かえ)る。かくの如き者は、災いその身に及ぶ者なり
===

『要約』
愚か者でありながら自分勝手な行動をしたり、位のない低い身分でありながら独断で行動したがり、今では通用しない過去の栄光にしがみついたり、こういった者には災がその身に及ぶ


「自己流は事故流」なんて言葉があるように、いつの時代も「俺はこうやるんだ!」という自分勝手な行動は身を滅ぼす、ということ

自分に能力がないなら能力ある人の力を借りれば良いし、知識がないなら素直な気持ちで教えてもらう

こういった「素直さ」はいつの時代も重要であり、変わらない不変の定理、ということですね


自分は今36歳なのですが、
歳を取ってくると、自分の我が強くなってしまいがち

そうならないよう、常に「素直さ」を意識し、学んだことは即実践に結びつけるようにしています

※素直さがない人は人に嫌われてしまいますしね


中和こそ道

===
喜怒哀楽の未(いま)だ発せざる、これを中(ちゅう)と言う。発して皆(み)な節に中(あた)る、これを和(わ)と言う。中なる者は天下の大本(たいほん)なり。和なる者は天下の達道(たつどう)なり。中和を致(いた)して、天地位(くらい)し、万物育(いく)す
===

『要約』
「喜怒哀楽」の感情が動き出す前の平静な状態を中(ちゅう)と言う。

感情は動き出したが、それらがピタッと節度にかなっている状態を和(わ)と言う。

こうした「中」こそは世界中の全ての物事の根本であり、こうした「和」こそは世界中いつでも通用する道である

「中と和」を実践していれば、天地宇宙のありかたも正しくなり、あらゆるものが健全に育っていくのである


中庸の中でも大きなファクターを占めるものが「中と和」です。詳しく解説していきますので、骨の髄まで浸透するくらいの気持ちで学んでいってください


まず、この文章で出てくる「中」と「和」ですが、この二つはこのように言われてます

『未発(みはつ)の中』
感情がまだ起こらない心の平然な状態

『己発(いはつ)の和』
感情が動き出したが調和の取れている状態


この状態を「怒り」で例えると、、、

怒る前の状態→「中」
怒りが起きたがその怒りが相手を思いやった節度ある怒りである状態→「和」

となります


現代社会は完全合理主義の世界なので、
この感情を否定する人も少なくありません。

「感情はいらない。習慣化が全てだ」

こんなフレーズをあなたも聞いたことがあるかと思います


しかし、この感情を封じ込めるのは良くない

なぜなら、人間としての機能を否定している、つまり人間でなくなってしまうから

つまり、数字だけ追い求めるマシーンに成り下がってしまうからです


大切なのは、適切な感情の状態をキープすることで、それが可能になるように自己を修養することです

無駄な感情が起こらないよう「中」を意識する
そして感情が沸き起こったとしても、その感情に節度をもたせる「和」を意識する

ここを日々の生活で意識していけばいいんです


怒りが込み上げてきたとしても、爆発させたら、しっかり回収する。悲しみが込み上げたとしても、泣いたら、その後ケロッと元気になる

このような感情との付き合い方をすることで、万物の全ての物事がうまくいく、ということです


例えば、会社で仕事をしていた時に、自分がミスをしたとします

もちろん上司は怒ります。その時に、、、


上司A「おい!それは違うよ!こうやるんだよ!そうそう。それでOKだ。次からは気をつけよう」

上司B「おい!それは違うよ!こうやるんだよ!おまえは毎回毎回何やってんだよ。この前だってミスしたじゃんか。なんで?どうして?あ~、もう!」


こんな二人の上司がいた時、
あなたはどっちの上司に付いていきたいと思いますか?

答えはもちろん「上司A」だと思うのですが、この上司Aの状態が「己発の和」ということです

※上司Bは怒りの調和が取れていないので「己発の和」になっていません


感情が外に現れたとしても調和が取れていれば全く問題ありません。物事はスムーズに進むし、必要以上に人から嫌われることもありません

「天地位(くらい)し、万物育(いく)す」ということです


それこそ、

現代社会は「個の時代」なので、自分自身で稼いだり、認知を取りに行く必要があるかと思いますが、、、

そんな時に「未発の中」と「己発の和」ができていないと、人が集まらないし、人にも嫌われてしまうので要注意です


とはいえ、
「自分の感情を上手にコントロールできない」と悩んでいる人も多いかと思います

そんな人はこの記事をチェックしてみてください
「なるほど!こんな考え方があったか!」という新しい気付きを得ることができるはずです


中庸こそ最高の徳

===
子(し)曰(いわ)く、「中庸は其(そ)れ至れるかな。民(たみ)能(よ)くする鮮(すくな)きこと久り」と。
子曰く、「道は其れ行われるざるかな」と。
===

『要約』
孔子は言った。「中庸こそは最高の徳だなぁ。だが。民衆の間でうまく実践できる人が少なくなってから、もう久しいことだ」
孔子は言った。「人として正しい道は、まぁなんと世間で実行されないことよ」


「中庸」という本のタイトルにもなっている通り、孔子はこの「中庸」を最高の徳目として説いています

また、「何事もほどほど(中庸)が良いのに、皆実践できていないなぁ」と嘆いていたりもします


それこそ、「食事」なんて正にです

「腹八分目に医者いらず」という言葉があるように、八割くらいの中庸が丁度よい、ということ


ただ、この中庸を実践するのが難しいんですよね

美味しいものを沢山食べたいと思うし、ビジネスチャンスがあればごっそり利益を確保しようとします

ただ、この気持ちをコントロールできないと、破滅へと近づいてしまいます


食べれば食べるほど病気になるし、目が$マークになればなるほど人が遠ざかっていきますからね

そうならないためにも、日頃から中庸を意識していきましょう


自分の場合は、

食事の時に自分の満腹具合を確認しながら食事をしていたり、、、

自分の思ったことをスマホのメモ帳に記録して、感情が暴発していないかをチェックしたり、、、

こんなことをしています


やはり何事も「知行合一」です(※「知行合一」はこちらの記事で解説

「中庸という言葉を知っている」状態でなく「中庸を実践できている」という状態に自分をもっていきましょう


柔軟性こそ強者の印

===
故(ゆえ)に君子(くんし)は和して流れず、強なるかな矯(きょう)たり。中立して偏らず、強なるかな矯たり。国に道あるときは塞(まもり)を変(へん)せず、強なるから矯たり。国に道なきときにも市に至るまで変せず、強なるかな矯たり」と。
===

『要約』
柔軟性を持ち人と和合して、しかも人に流されることはない、これが強さだ。中立の立場に立ち、少しも偏らない、これが強さだ。国中に道徳が行われた時も決して油断をしない、これが強さだ。国中に道徳が行われていないときでも、死ぬまで道徳を追い求め心をブラさない、それが強さだ

孔子は、
人間的な強さのことを「柔軟性」「中立」「油断」「道」の四点から説いています


確かに、自分達は

過去の栄光に浸り柔軟性が欠けてしまったり、
誰かの意見に偏り過ぎてしまったり、
油断して隙をつかれたり、
自分の道を曲げてしまったり、

こういったことをしてしまいがちです


自分はこの文章を読んで、

「確かになぁ。柔軟性がない強固な強さは、一見強そうに見えるけど、横から思いっきり叩かれたらポキッと折れちゃうようなぁ」

と感じました


それこそ、陽明学を地で実践してきた人に「雀鬼こと桜井章一さん(大金をかけた裏麻雀で負けたことがないという伝説の人)」という方がいます

そして、その桜井さんは「強さってのは円なんだよ。柔軟性がないと駄目だよ」と、書籍の中で語っていました


『強さ=柔軟性』

この感覚は意外と重要じゃないかなって思います

スポーツなんかでも「筋骨隆々の人」よりも「柔軟性がある人」の方がパフォーマンス高いですしね

※自分は野球が好きなのですが、「筋肉が邪魔になって動けなくなる」と言っているプロの選手は意外と多いです


世間的な常識に惑わされず

”本物の強さ”を手にしていきたいものですね

そして、そのためにも「柔軟性」に焦点をあてていきましょう



考えるな!適応しろ!

===
君子はその位(くらい)に素(そ)して行い、その外を願わず
===

『要約』
君子は自分の境遇に適応した行動を取るのであって、そこからはみ出すようなことを望まない


自分達は、どうしても「再現不可能なこと」を望みがちです

「福山雅治みたいにカッコよかったらなぁ、、、」
「大谷翔平みたいに体が大きかったらなぁ、、、」


あるあるだと思います


で、現代の可視化社会はこの現象を加速させます

なぜなら、あらゆる人の生活や行動がいつでもどこでも見れてしまうから


世の中には「超絶イケメン」とか「えげつない程の金持ち」とか腐る程存在します

でも、20年前なら、そういった人の存在すら知りませんでした

ただ、SNSが発達した現代は見えてしまう

そして「あ~、自分ってなんでこうなんだろう、、、」と落ち込むわけです。自己肯定感が急激に下がっていくわけです


そうならないためにも、

今回お伝えした「ただただ適応する」ということを意識してみてください


「今の自分にできることは?」
「これならできるかも」
「頭が悪いなら本読めば良い」

できることは山程あります


「君子はその位(くらい)に素(そ)して行う」

この言葉を血液の中に浸透するくらい何度も復唱する

そうすることで他人が気にならなくなり、自分がやるべきことだけに集中することができるようになります


「そんなことは分かってる。でも他人が気になってしまうんだ!」

もっともだと思います。が、ここは根気強く、粘り強く、何度も何度も言葉に出し、復唱していくしか方法はありません


ちなみに、自分は気になる言葉や、

「これは絶対に自分のためになる!」と思った教えはスマホの待ち受け画面にしています

「人間の記憶は1時間で40%失われる」と言われるくらい、人間はアホです。なので、徹底するしかないんですよね

粘り強く、根気を持って、それこそ一掴一掌血の気持ちを持って、日々学んでいきましょう


究極の道「誠」

===
誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、人の道なり。誠なる者は、勉めずして中たり、思わずして得、従容(しゅうよう)として道に中たる、聖人なり。これを誠にする者は、善を挑(えら)びてくこれを執(と)る者なり。
===

『要約』
誠とは天の働きとしての究極の道である。その誠を地実現しようとつとめるのが、人としてなすべき道である。誠が身についた人は、努力をしなくても自然と道にかなっていて、これこそ聖人である。誠を実現しようとつとめる人は、努力をして本物の善を選定し、そのうえでそれをしっかりと守ってゆく人である。


中庸の中でも、
「誠」は特に大切にされている項目です

「誠」すなわち「自分の道に嘘偽りなく真っ直ぐに歩むこと(忠誠心)」で、人として成長し、自然と道理にかなう行動ができると言われています


しかし、現代はこの「誠」が薄れてしまっています

なぜか?その理由は「科学があまりにも過大評価されているから」です


本来の人間としての生き方としては「まず自分を信じてみる」「まず人が言うことを信じてみる」から始まります

本文にもある通り、そうすることで努力をしなくても、勝手に道が拓けてくるわけです


ですが、現代は「それってエビデンスあるんですか?」という具合に、信じる前に「根拠を求める時代」になってしまいました

つまり、、、
「根拠を出せ!そしたら信じる!」という、とんでもない社会になってしまった、ということです


そもそも、科学というのは100%ではありません

カール・ポパーが唱えた「反証主義」が今の科学のベースになっているのですが、

「科学は覆るのが前提」の上で成り立っていんですよね


それこそ、10年前は健康に良いとされているけど、今は健康に悪いとされている、なんて物は世の中にゴロゴロしているわけです

「牛乳」なんか正にです。「牛乳のカゼインがアレルギーを引き起こすのでは?」なんて話を最近はチラホラ聞きます


少し話がそれてしまいましたが、

100%でないものを追い求め、そうすることで「信じる」という人間の感覚を使う機会が圧倒的に減ってしまった、ということです


それこそ、

今自分が解説している「中庸の教え」だろうが「エビデンスがある科学」だろうが、100%正しい理論や物はこの世に存在しません


つまり、
「あなたが何を信じるのか?」が重要ってことです

そして、その「信じる」という「誠」を貫くことで、自分の人生が切り開けてくるわけです


余談にはなりますが、
7つの習慣という書籍の出版社キングベアー出版を創業したジェームス・スキナー氏(現在の資産は2000億)はセミナーの中でこう言っています

「根拠を出せ!そしたら信じる!」じゃないんだよね。「まず信じてみる。そこから人生はスタートするんだよね」


正に「誠なる者は、天の道なり。」です

「まずは信じる。自分を信じる。他人を信じる。」

そうすることで、あなたの人生は北斗七死星のように光輝いていきます


1000回で聖賢

===
人(ひと)一(ひと)たびしてこれを能(よ)くすれば、己(おのれ)はこれを百(ひゃく)たびす。人十(と)びしてこれを能くすれば。己はこれ千たびす。果たしてこの道を能くすれば、愚(ぐ)なりといえども必ず明らかに、柔(じゅう)なりといえども必ず強かならん
===

『要約』
他人が一の力でできるとしたら、自分は百やる。他人が十の力でできるとしたら、自分は千やる。

もし本当にそれができるなら、たとえ愚かな者でも必ず賢明になり、たとえ軟弱な者でも強くなれるだろう。


練習していないのにスポーツができる人
塾に行ってないのに勉強ができる人


いつの時代もこういった人は存在します

そして、現代はこういった人がSNSで自己アピールをするので、余計、目に付きます


ですが、そんな時に焦ってはいけません

この言葉を思い出し、

「俺は才能はない。能力もない。でも1000回やったるで!」

という気概で事に挑むようにしましょう


自分自身、昔はジャンプばっかり読んでいたんので、古典なんて全く読めませんでしたが、

何度も何度も繰り返し読むことで、

スラスラ古典の本を読めるまで成長できました


古臭い考え方かもしれませんが、

物事で結果が出している人は必ず、裏でこっそり何度も何度も同じことを繰り返しているものです


「100回やらないとできない。1000回やらないとできない」ではなく、、、

「100回やるチャンスをもらった。1000回やる根気を育てる環境を天から与えられた。ありがとう!」です


100回だろうが1000回だろうが10000回だろうが、関係ない。やってやりましょう。

そして、自分の道を自分で勝ち取り、クッソミソにおもろい人生にしていきましょう


「誠」こそ現代のエクスカリバー

===
誠なる者は自ら成るなり。そうして道は自ら導くなり。誠なる者は者の終始なり。誠ならざれば物なし。この故に君子はこれを誠にするを貴(たっと)しと為(な)す
===

『要約』
誠が身についた人は、自分で自分を完成させてゆくのである。そして、そのふみ行う道は、その道自体が実現へと導かれていくのである。誠が身についた人は物事の初めと終わりを理解する。そうしたわけで君子は、誠をもっとも貴重なものと考えるのである

この文章でも「誠」の重要性を孔子は語っています

誠があれば人格形成がなされる

誠があれば道が自然と切り拓かれる

誠があれば物事のあるべき姿がわかる

それくらい、孔子は誠を尊いものと考えているわけです


自分達が生きている時代と孔子が生きてきた時代では、あまりにも違いがありすぎるわけですが、

人間の行動の原理原則は、いつの時代も変わりません

いきなり大雨に降られてずぶ濡れになったら、2500年前だろうが、現在だろうが、「このやろう」って思いますからね


つまり、、、

誠の心を持ち行動していけば、人間の心は昇華されていく、ということ

「何が得られるか?」という物は時代によって変わるかもしれませんが、

「自分の人生は最高だよな」という幸福感、満足感、納得感、は誠の心を持つことで、達成できるということです


それこそ、

そういった心持ちで行動していれば、

そのオーラが人を感化し、夜中の蛍光灯に虫が集まるように、人も勝手に集まってくる、と個人的には思っています


また、「俺は誠の心を持って生きてるんだ!」という人がいたら、シンプルにカッコいいですしね

時代に逆行しているかもしれませんが、『グッとくるイケてる大人』になれることは間違いありません

「誠」を意識して痺れる大人になりましょう


無名有力・有名無力

===
故に君子の道は、闇然(あんぜん)としてしかも日々に章(あきら)かに、小人の道は、的然としてしかも日々に亡(ほろ)ぶ
===

『要約』
君子のふみ行う道は人目を引かないでも、それが外に現れる。つまらない小人の道は人目を引きながら、それでいて日に日に消え失せてしまう


SNS全盛期の令和の時代

「どうやって目立つのか?」を意識して毎日を過ごしている人も多いかと思います

しかし、孔子は「そんなもんダメでしょ?自分からアピールしないでも人が集まるのが君子だよ」と言っています


現代人からしたら「ギクッ」とする内容ではありますが、

この法則は現代にも当てはまるのかなと、自分は思っています

それこそ、
YouTuberのヒカキンさんなんて正にそうですよね


スーパーで働きながら、毎日毎日YouTube動画を投稿する

1年間は収益が発生しなかった、なんて話も聞くくらい厳しい闘いだったようです

でも、焦ることなく、「確実に良いものを届ける」という思いで地道に動画投稿を続けたからこそ、

人が集まるようになり、偉大なYouTuberになれたわけです


それこそ、興味を惹くために、グレーな投稿をする人も多いわけですが、

孔子に言わせれば、

そんな事は「小人のやる事」なわけです。そして、日に日に存在が忘れ去られてしまうわけです


また、陽明学研究者の一人に「安岡正篤」という方がいるのですが、※内閣総理大臣の指南番と言われるほどの人物です

彼もこのような言葉を残しています

===
有力無名・無力有名
===

人間が目指すべきところは有名で無力な状態ではない。無名だけど有名な人物になることだ


心にグサッと突き刺さる言葉ですね

自分自身、この言葉を聞いた瞬間に「俺は何やってんだ。有名になるために数字追ってどうすんだよ。今すぐ有力を目指さないと」と、猛省しました


「どうしたら目を引くことができる?」ではなく「人目を引かないでもその凄みが伝わる人物を目指す」ことが、中庸の最大の教えでもあります

『無名有力・有力無名』を念頭に、

日々修養に努めていきましょう


=====
以上が、「中庸の教え」となります


中庸の主な教えは「中庸」と「誠」の二つです

何度もこの二つの教えが出てきたかと思いますが、それだけ重要ということ


ボーリングに例えるなら”センターピン”といったところです

センターピンさえ倒してしまえば、あとのピンが勝手に倒れていくように「中庸」と「誠」さえ抑えてしまえば、人生の道は勝手に拓けるということです


「中庸」というのは”バランスを取る”ということなので、マスターするまでに時間がかかるかもしれませんが、

逆に言うと、それだけ価値がある、ということでもあります


日々自分の道を切り拓くために、

玉を磨くように自分を磨いていきましょう


P.s

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