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かな入力で書いてます。#わたしの執筆スタンス

おや、タイトルにハッシュタグ入れようとした時点で、企画の趣旨を間違えていることに気がつきました。#わたしの執筆スタイル ではないのです。だいすーけさん、どないしよ。

かまへん、かまへん、書きたいこと思いついて書き始めたんやったら、どこか途中でつじつま合わせたらいいんや。書きたいこと書く方が大事やで。よく高層ビルを建てるとき、基礎部分でほんの数ミリの差が出ていても、そのまま上階を積んでいって、最後に屋上で柱削って合わせるのと同じや。ピサの斜塔とか砂上の楼閣とかといっしょやで。

という優しい声が聞こえてきた気がするので、そのまま、続行します。だいすーけさんは、なんで関西弁なんやろ。かまへん、かまへん。

私は、パソコンで文章を入力する時、かなで入力しています。

みなさ~ん、かな入力とローマ字入力との切り替え方をご存知ですか。

「ALT」+「かな/ローマ字」

です。

今、一体どれくらいの人が、かなで入力しているのでしょうか。google先生に聞いてみたところ、楽天調べで 7.6%が、かな入力がいいと答えたそうです。だとすると、実際に使っているのは、まあ、1割以下といったところなのでしょうか。

うーん、1割以下、エリート層やんか。「私、かな入力できるねん。」って、マウントしまくったろか。

あ゛、ら゜、ん゛、も゜

ローマ字だったら、こういう入力できないでしょ。かな入力だから、表現の幅が広がるんですよ。(windows 依存との情報があります。)

と言ってたら、見出し画像のようなキーボードを発見、あらら、かなが書いてない。かな入力できないやんか。と思いましたが、あら不思議、ちゃんと、IMEのローマ字入力/かな入力変換で、かな入力ができるようになりました。

これは、すごい。

何がすごいかって、「R」キーを打てば、「す」とモニターに出力されるのです。もともとブラインドタッチなので、キーに何が書いてあっても関係ないのですが、これって、すごいでしょ。すごいですよね。

楽天の調査で「親指シフト」の項目があったので思い出したのですが、大学院にいた頃、論文執筆は、手書きとワープロでやってました。

当時どうやって修士論文を書いてたかと言いますと、まず、テーマをきめて、目次を書く、目次ごとの参照文献をつけて、指導教授の指導を受けます。ここで、けちょん、けちょんにやっつけられる。

「論文は、学会の研究を一歩でも前に進めるものでなければならない。これは、紙くずだ。」

とかから始まって、参照文献を本当に読んでるかが試されます。そんな、こんなのやり取りが、何度も、何度もあった後、修士論文の執筆に取りかかるわけですが、あら不思議、自然にスイスイ書けるんです。論文作成のかなりの時間を目次作成に費やしたのですが、無駄ではなかったような気がします。目次を作った時点で、もう、論文の筋も見えてるし、参考文献を分析しているうちに、その章で何を書かなければならないかもわかってきますから、スイスイ書けるようになったのだろうと思います。

でも、当時の事情としては、それだけじゃなかったのです。論文は、ワープロ打ち人もいましたが、たいていは、原稿用紙に手書きで書いてました。これ、すごい労力なんですよ。第一章から原稿用紙にどんどん書いていく。なので、全部仕上がった時点で、章立てから直せと言われた折には、人生をやり直せと言われているくらい大変なことになるのです。章の内部をこてこてと直せと言われるだけでも、全部手書きなんですし、修正と関係ないところも直すことになって、半泣きになりました。

当時は、世の中の多くが、シーケンシャル(順次的な)な世界だった訳です。でも、今は、物理的には、シーケンシャルから解放されてると思います。だって、パソコンで、切り貼り自由、修正もお手軽にできるじゃないですか。ランダム(飛び飛び)に書いていくことだって可能ですよね。物理的には、目次やプロットにこだわらなくてもいい状況になっています。これって、PC のおかげなんですよね。

PCといえば、教育用プログラミング言語で、面白いのを見つけました。Scratchとかいうやつ。ブロックみたいなかたまりを画面に貼り付けていくと、プログラムが完成するというもの。逐次、条件、繰り返し処理が感覚的にとらえられるようになっていて、下手にjavaなんかで勉強しはじめるより、わかりやすいのかなとも思いました。これって、ブロック並べて遊んでいるうちに、目次みたいなフローも自然と作れてしまうんですよね、楽しいですね。



起承転結の転が、やたら長いやん。このビル倒れるで。かまへん、かまへん。また、だいーすけさんの声が聞こえてきました。

私は、少数派であっても、かな入力を続けて行きたいと思います。それは、若い時からかな入力でやってきたというこだわりがあるからです。世の中、かなが書いていないキーボードが出回るようになってきましたが、それでも、「R」キーを打って、「す」と出力させていきたいと思っています。

私が、かなで入力してようと、ローマ字で入力してようと、出力される文字には変わりありませんから、出来上がった文章には、なんの影響も与えません。

しかし、文章を目次から作るか作らないか、プロットを作るか作らないかは、出力された文字列からは判別することはできませんが、出来上がった文章には大きな影響を与えると思います。

PCのおかげで、切り貼り自由、修正もお手軽にできるようになって、ランダムに書いていくことが可能になった。Scratchのような教育用プログラミング言語の登場により、遊びながら、ブロックを並べていくうちに、楽しみながら目次のようなフローができるという感覚が身につくようになってきた。物理的には、目次やプロットを作らなくても楽しく文章を書くことができる状況になってきています。

それでも、私は、論文を作成していた当時のことを思い出しながら、目次やプロットにこだわっていきたいと思います。だって、尊敬する先生に教えていただいたことですもの。

偉そうにここまで書いてきましたが、実をいうと、私は、いままで、プロットというものを作ったことがありません。でも、この記事を書いて、プロットも目次と同じような意味で文章に大きな影響を与えるものだと考えるようになりました。これからになりますが、プロットの作り方を一から勉強していきたいと思います。

最後に一言、

あ゛。

(おわり)

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