普通ってなんだろと思う話
みんなが普通に出来ることが、難しい我が家の長男。
普通に登校して、普通に授業を受ける
普通に学校生活を送る、普通に宿題をやる
長男と同年代の子たちは、普通にこなしている
めんどくせーとか、うざいとか言いながらも普通に出来る
我が家の長男はそうはいかない
めんどくせーと思ったら、取りかかるまでに時間がかかるし、やり始めても、波に乗るまで相当な時間を費やす
宿題もみんなと同じ量をスムーズに出来るようになったのは小学校3年生くらいだった
小1の時はほとんど授業を受けてないし、宿題はやらなくてもいいことにしてもらった
でも、ひらがなも漢字も書けるし足し算だって引き算だって問題なく出来る
上級生が読むような本も読めた
小2の時は廊下に置いてくれた机で、たまに授業に参加することができた
気が向かないときは、あえて声をかけないで様子をみてくれた
2学期くらいからは、教室に入れるようになった
いわゆる普通に過ごせるようになった
小3の時も周りの子と同じように
普通に過ごしてた様子だった
でも、好きじゃない教科がある日は避けたりもしていた
好きじゃない教科といっても、算数とか国語とかではない
どんな単元をやるかによって、彼のモチベーションは左右される
例えば国語で言うと、文章を読んで作者の思いを書いたり、漢字を習うは大丈夫だけど、
みんなで教科書を読んだり、発表することとかが嫌なようだった
図工も空き箱なんかを好きに使って何かを作るのは大丈夫だけど、決まった材料を使って作るものや絵を描くことは嫌だった
好きでない単元が始まると、とたんにモチベーションが保てない
「これを作るとか、これをやるとか決まってるとできない」とよく言っていた
我が子のことながら、なんだか面白い子に思える
昔から気持ちが乗らないとやらないところはあった
0歳児クラスから保育園に通った長男
2歳児クラスの運動会の親子競技で、赤ずきんに扮するのに、赤い布を頭巾ではなく、マントにすると言って聞かない
よくあることと思えばそうだが
長男は「みんなと同じが嫌なんだよ」と言っていた
3歳児クラスあたりから、
制作とか、運動会の練習とか
「やらない」と言って、みんなと一緒には取り組まなかった
先生たちは彼がやる気になるまでとことん待ってくれていた
それでも、保育園最後の運動会はみんなと一緒に誇らしげに参加していた
「みんながいるからやろうと思った」
と言っていた
何年も一緒に過ごしてきたから、安心感もあったのだろう、みんなと一緒にやりたい!と心の底から思えたから、彼は頑張れた
こんなこともあったから、小学校でみんなと同じようにできなくても、まぁそうだよねくらいで済んだのかもしれない
周りとはちょっと違うかもしれないけど、
我が家にとっては至って普通だった
でも、長男にとって小学校の周りの子たちは衝撃的だったに違いない
保育園では多くても30人くらいのクラスの子たちの中で、一人くらい少し違ってもあんまり気にならなかった
小学校は同学年が120人くらい
その中で自分だけがちょっと違う…
みんなが普通にできることが出来ない
ということを嫌でも気付かされた
みんなと同じペースで同じように出来ないことが
なんだかすごく悪いことをしている気持ちを大きくさせてしまった
先生たちは口を揃えたように
「同じではなくてもいいんだよ。一人ひとりのペースがあるから。」
と言ってくれたけど、でも、長男はみんなと同じように普通に出来ないことに苛立ちと罪悪感を持たざるを得なかった
普通の基準は社会全体の基準…
だから、少しはみ出すと叩かれる
大丈夫だよとしてくれても、本人が感じる違和感を拭うことはできない
考え方や感じ方を尊重する社会だったら、
普通の基準は一人ひとり違ってもいいんじゃないかな
マイノリティも大切に思える社会がいいな
そんな社会で生きていってもらいたいと切に願う今日この頃
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