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アクアポリンと奇跡の水

 水には体にいい水と悪い水があると言われている。
 江本勝 の『水からの伝言』はご存知だろう。水に「ありがとう」と声をかけて凍結させると、美しい氷の結晶ができ、反対に「バカ」「死ね」などと声をかけると結晶がキレイにできないというものだ。
 最近では水素水が爆発的に流行した。『ルルドの水』(フランス)、『トラコテの水』(メキシコ)、『ノルデナウの水』(ドイツ)など世界には奇跡の水と呼ばれる泉がある。特に有名なルルドの泉には、毎年500万人もの人が訪れ、キリスト教の聖地とされている。そして糖尿病や関節炎、神経疾患、消化器疾患、皮膚疾患、アレルギーなど幅広い範囲の病気が、その水を飲むことで治ると言われている。

「通常の水道水にはほとんど含まれていない水素が、こうした奇跡の水には高濃度で含まれているというのです」

 九州大学・細胞制御工学教室の白畑實隆教授がテレビ局の依頼で『トラコテの水』を調べたところ、水道水の10倍の濃度の水素が含まれていることがわかったのだそうだ。
 「水からの伝言」や水素水は実際に効果があるのか?
 「水からの伝言」は人間の精神が水に影響する証拠として、凍結させて結晶を見る方法を思いついたのだと江藤勝は同著で述べている。しかし懐疑派から実験の不備を指摘され、雑誌のインタビューでは、これはファンタジーだと逃げてしまった。
 水素水も同様だ。水素の医療応用は研究途上で、一定の成果は上がっているものの、水素を高圧で水に混入させた水素水が効くかどうかは非常に怪しい。水素の分子は小さいため、どこでも浸透する代わりにあっという間に体外に出てしまう。だから飲んでもすぐに水素は体外に出てしまうし、そもそもペットボトルに入れて輸送したら、店頭に並ぶ頃には完全に抜けてしまっている。
 では結局のところ、水に性質上の差はないのか?
 たとえばパワースポットで有名な分杭峠だ。中央構造線の断層上にある分杭峠の水は、ゼロ磁場の水と呼ばれ、特殊な性質を持っていると言われる。しかしその科学的な裏付けがあるかといえば、何とも心許ない。分杭峠の水を販売している会社も、水自体の良しあしについてはコメントを避けている。
 水の分子式はH2Oだ。不純物を取り除けば、それが水道水だろうがルルドの泉の水だろうが、何も変わらない。そして不純物の量はごくわずかだ。水に含まれ、害がない程度の不純物なら、味に影響はあっても、ガンを治したり、動かない足を動かしたりすることは不可能だ。
 本当に奇跡の水があるのだとしたら、まったく別の仕組みがなければならない。水の構造自体に違いがあると考えないと説明がつかない。水の分子に違いはないが、その連なり方に差があると考えるのだ。
 この連なりをクラスター(塊、集団)といい、水にクラスターがあるのではないか? と考える人もいる。クラスターは異なる物質同士を混ぜ合わせた場合には、比較的できやすい。有名なところでは酒だ。酒は時間が経つと味が丸く滑らかになる。これは同じ種類の分子同士が集まってクラスターを作るためで、出来立ての酒では、アルコールはアルコール、水は水でクラスターを作ってしまうため、不均一な味になってしまうからだ。時間が経つことでアルコールと水のクラスターは混じり合い、均一になることで味が丸くなる。だから超音波熟成という、超音波振動子を酒のタンクに付けて、超音波でクラスターを分解させてやるとわずか数分で数年分の熟成を進行させることができる。
 水のように均一な物質でできた液体にクラスターがあるとは考えにくい。だが、なんらかの違いがなければ、水による奇跡の説明はつかないだろう。そして水が人体に与える影響を数値することができれば、こうした水の良し悪しを客観的に判定することができるだろう。
 奇跡の水は本当にあるのか? その奇跡を証明できる物質が見つかっている。それがアクアポリンだ。

  人体の70%は水だ。クラゲに至っては95%が水である。
 肉と水との比率から考えれば、筋肉や骨は水を溜め、水を循環させるための構造物であり、水こそが人間を含む生物の本質であると言ってもいいぐらいだ。しかし生命にとって水が非常に重要なことはわかってはいたが、では具体的に体の中で水がどのように動き、どのように循環をしているのか? 血流やリンパ液といった大きな流れではわかっていたものの、細胞レベルや各器官内部でどう循環し、どう処理されているのか? はあまりにも小さなスケールのためにわかっていなかった。
 細胞レベルで起きる水の運動は、長年、物理的な浸透圧の違いで説明されてきた。しかし、それだけでは説明できないのだ。
 細胞はそれだけで独立した生命体だ。人体と外部は表皮によって隔てられている。そして人体を構成する60兆個という膨大な数の細胞にとっては、人間の体内こそが外界である。
 細胞の内と外を分けるのは、脂質が二重の膜を作ってできている細胞膜だ。
 水と油というように、油は水を通さない。細胞膜も水を通さないはずだが、実際には細胞の中は水で溢れている。だから細胞には水を通す仕組みがなければならない。細胞内外の浸透圧の違いだけでは、あまりにも効率が悪すぎ、現実に合っていないからだ。しかも細胞や器官によって水の通しやすさは異なり、さらにホルモン等の変化に合わせて水を通す量は変化する。
 たとえば赤血球は水の透過性が高い。胆のうや腎臓は水を通しやすく、唾液腺は通しにくい。抗利尿ホルモンのパソプレッシンが分泌されると細胞間の水の移動量が増える。このため、細胞の表面には水の量を調節可能な機能=水チャンネルとして働く、何らかのたんぱく質があるだろうと予想されていた。
 1988年、アメリカのジョン・ホプキンス大学のピーター・アグレ教授は細胞表面に膜状のたんぱく質が大量にあることに気がついた。アグレ教授はヒトの赤血球とラットの腎臓から、この膜状のたんぱく質分子CHIP28を分離する。
 1992年、CHIP28のヒト遺伝子をコピーし、カエルの卵母細胞に注射する実験が行われた。
 カエルの卵は水を通さない。しかし、CHIP28の遺伝子を組み込んだ卵は表面にCHIP28を作り出す。水チャンネルを形成した卵は水を吸い、手を加えていない卵に比べて、膨張するはずだ。
 遺伝子操作を行った卵を水に入れると、卵は水を吸い始め、膨張した。CHIP28は水を選択的に通し、ホルモンによってその量を調整する水チャンネルとして働くのだ。
 たんぱく質はアクアポリン=aquaporin(水=aquaの穴=porus)と名付けられ、現在までに哺乳類の細胞では13種類が見つかっている。
 アクアポリンを作る遺伝子に異常があると、その組織は正常に働かなくなる。涙が分泌されずにドライアイになるシェーグレン症候群は、先天的に目にアクアポリンがないために起きるし、肌がみずみずしさを保てるのはアクアポリンの働きだ。脳浮腫という脳に水が溜まる病気ではアクアポリン量が増加する。
 なおピーター・アグレ教授は、細胞膜の選択的な水チャンネル=アクアポリンの発見で2003年度ノーベル化学賞を受賞した。

 アクアポリンには水だけを通すものと、水以外にもグリオセロ―ルや尿素などを通すものとがあり、細胞膜に小さな穴をあけて、そこにトンネルの壁のように貼りついている。そして細胞に入る水の量を調節している。
 アクアポリンは250~290個程度のアミノ酸基が絡み合い、中央に水を通す穴を作る。この穴は恐ろしく小さい。およそ3オングストローム(100億分の1m)で、これは水分子の直径3.8オングストロームとほぼ同等程度だ。つまり水分子が1個づつしか通過できない。他の物質と結合したイオン化溶液は、水分子よりも大きくなるため、この穴を通り抜けられない。アクアポリンはこうして水分子だけを選択的に透過させる(選択的にグリオセロ―ルや尿素も通過させるアクアポリンは構造が異なる)。
 ピーター・アグレ教授に師事したこともある秋田県立大学名誉教授の北川良親は、アクアポリンの構造上、透過率の高い水と低い水があるとしている。
 アクアポリンは毎秒数億個単位で水分子を取り込むが、それは掃除機で吸い込む(その様子をとろこ天と呼ぶ学者もいる)ように、6~8個の水分子が縦一列で細胞に引き込まれる。オングストローム単位の世界では、水分子は水ではなく、ボールのような固体に近い形で振る舞うわけだ。そうなると吸い込むスピードを決めるのは水分子の配列ということになる。
 水分子が乱雑な集団の水は、アクアポリンが吸い込む際に渋滞を起こす。場合によってはアクアポリンが詰まってしまうだろう。反対に、秩序のある配列の水分子であれば、アクアポリンは効率よく水分子を吸い込めるだろう。
 北川は吸い込みやすい水の配列をシングルファイルと呼んだ。数珠つなぎに水分子が並んでいる状態である。そして奇跡の水の正体はシングルファイル化された水であり、細胞への透過力が高いとしたのだ。

 水ごとの透過力の違いはどのように調べればいいのか? 水の配列を直接調べる方法はない。水分子のシングルファイル化は仮定であって、目に見えるわけではないのだ。
 そこで北川はアクアポリン発見のきっかけとなったカエルの卵の実験を応用した。遺伝子操作し、アクアポリンを発現させたカエルの卵を用意、それを比較したい水に付け、膨張率の違いを調べたのだ。
 宮崎県で採取した地下水と東京都の水道水で比較したところ、「地下水に入れた卵母細胞は早かに膨張し、15秒以内に破裂しました。しかし、水道水に入れた卵母細胞は大きくはなるが破裂することはありませんでした」(「アクアポリン革命!」より)。
 カエルの卵は水道水よりも地下水をより多く吸収した。つまり地下水の方がよりシングルファイル化されており、より多くの水がアクアポリンを透過することができたのだ。
 アクアポリンは体の部位によって分布する種類が少しづつ違う。アクアポリンの種類は番号で管理されており、アクアポリン1(略してAQP1)は赤血球や脳、腎臓、肺、胆管、眼などさまざまな場所に発現し、AQP2は腎臓、AQP3は腸、AQP4は脳といった具合だ。それそれの遺伝コードは判明しているので、切り出してカエルの卵原細胞に埋め込めば、その膨張率からアクアポリンの種類ごとの透過率を算出できる。
 そこで各地の、体にいいとされる水で比較したところ、いずれも高い透過力を持つことがわかったのだ。
 たとえば先のゼロ磁場の水の場合、純水と比較してAQP1はほぼ変わらなかったが、AQP3は1.6倍、AQP5は1.4倍、AQP7はなんと2.3倍もの透過力となったのだ(図〇○参照)。
 さらに自然水だけではない。水に電磁気を照射すると分子構造が変わるという触れ込みの装置がある。そうした電磁気で処理した水を同様に調べたところ、AQP2は1.5倍、AQP3は1.3倍、AQP5は1.1倍、AQP3は1.3倍に透過率力が増大していたのだ。
 では細胞への水の透過率が高まると何がいいのか?
 たとえば高血圧。テレビの健康番組で、よく血液ドロドロとサラサラとやっているが、血液の粘度が上がれば、それだけ血栓ができやすくなる。血液が流れにくいので、養分を組織が吸収するために血液を流さないように、水道の先を押さえるように血流を抑制し、血圧が上昇する。高血圧の原因は血液がドロドロになったためであり、その理由はといえば水分不足なのだ。
 糖尿病も水分不足が大きな引き金になっている。水分が不足すると膵臓はプロスタグランジンを合成し、インシュリンの分泌を抑制する。インシュリンは細胞が糖やカリウム、アミノ酸を取り込む反応に関わっているが、こうした物質は血液中に溶け込んでいるため、水分ごと細胞に取り込もうとする。水分が不足している中で、不要な細胞に水分を取られると体が機能不全を起こしてしまう。だからインシュリンの分泌を抑制し、水分を吸収しないようにするわけだ。インシュリンの低下から血中の糖度が上がり、糖尿病が始まる。糖尿病発症の大きな原因は水分不足なのだ。
 肌のうるおいがなくなれば、アトピーや皮膚炎が起きるし、北川の研究では、ガン細胞を消滅させるナチュラルキラー細胞は十分な水分を与えることで活性化するという。つまり水を飲めばガンが治るかもしれないのだ。
 すべての病気の原因が水分不足というのは、あまりに偏った見方だと思うが、大きな要因であることは間違いない。透過力の高い水を飲むことで細胞へ水分が効率的に行き渡り、病状を快方に向かわせることは十分に考えられる。
 水に何らかのプレミアを付けて売る商売は後を絶たないし、その多くがまがい物ではあるだろう。しかしアクアポリンの発見によって、水自体に差があり、奇跡の水はまじないや思い込みではなく、本当に病気の予防や治療に役立つ可能性が出てきたのだ。
 すでに化粧業界では、透過力の高い水を使って、皮膚に浸透しやすい化粧液等の開発を進めている。北川の研究を追試している機関がないため、水自体に違いがあるという考え方が認められるには、まだしばらく時間がかかるだろう。しかし北川の言うように、「たかだか50万年しか進化していない脳みそ」で「全宇宙現象を理解できるはず」がないのだ(「アクアポリン革命!」より)。
 同じH2O分子の集まった水に違いなんてあるわけがない! と頭から否定する人は笑うだろう。しかし本当に否定していいのか? その態度は、地動説を唱えたガリレオを迫害する姿と似通って見える。たとえ受け入れがたくても、一つの可能性として客観的見地から検証を行う、それこそが科学の姿勢だろう。
 その時、奇跡の正体が科学によって明らかになる。奇跡は奇跡ではなく、新しい科学の始まりの第一歩目となるのだ。

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