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『三浦章宏、J.S.バッハを弾く。~無伴奏ヴァイオリンリサイタル』のウラ話

どれだけ人生の時間を費やして、この音符たち - この曲 - この音楽を弾いてきたのだろう。バッハを好いて来たのだろう。
本番中の舞台袖で3番パルティーダを聴いている時、そんな想いが込み上げてきてどうしようもなく、涙が止まりませんでした。
こんな体験は初めてです。

何かが幾重にも織り込まれ、練り込まれた、音、音、音。
質感、肌感覚、手触り。
すべての音が、聴いてて嬉しい。歓ばしい。
ずうーっとずうーっと、バッハが好きで、ひたすら好きで、大切に大切に弾き続けてきた人の音が、ホールに響いていました。


そもそも、事の始まりから正直に書いておきます。


三浦さんから「バッハの無伴奏ヴァイオリン曲リサイタル」の企画を持ち込んで頂けて、とても嬉しかったです。
同時にすごく怯えました。
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J.S.バッハ
『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』
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CDでしか聴いたことが無く、もちろん弾いたことは無いし、鼻歌できるレベルまで聴き込んだ事もありません。
曲を知らない…..強いプレッシャーを感じました。

バッハの無伴奏ヴァイオリン曲。
超難曲、大曲、神聖、不可侵、曲間で拍手禁止。

なにか音楽とはかけ離れたモノだと感じていました。
とても近寄りにくく、親しみにくい印象を持っていました。

三浦さんに質問すると「とっつきにくくないよ。聴きやすいし、わかりやすいし、誰が聴いてもきれいだって感じられる曲だと、僕は思うだけど…」とお話し頂きました。
その時に三浦さんに弾いて頂いたバッハは(さわりだけですが)圧巻でした。
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…それなのに、その後でCDを聴いても、やっぱり近寄り難い(++;)。
ずっと弾いて/聴いてきた演奏家さんとの感覚の差なのか、単純に「ムズくて弾けねー」というニガテ意識が働いてしまうからなのか。
確かに、難解な音楽ではない。ないけれども、けれども、、、、、。

三浦さんのバッハ感を掴むため、推薦図書までご指定頂きました。
『博士の愛した数式』の、博士の数学に抱く感覚が、バッハの音楽に近いとのこと。

算数だいきらいなので避けてた本(^^;)

読んでみるととても面白く、「文章題は声に出して読んでごらん。文章のリズムが掴めると、数式が見えてくるから」みたいな指摘は目から鱗。楽譜もまったく同じだなと思い勉強になりました。同時に、バッハ=数学=自然法則=宇宙、の途方も無さ、果てしなさに、めまいも覚えました。

バッハの無伴奏ヴァイオリン曲の、アピールポイントはなんだ?
どうやってお客様 "たち" に、関心を持って頂いたら良いのだ?
ずいぶん、悩みました。

霧が晴れたように、この曲が腑に落ちたのは、コリヤ・ブラッハーのオールバッハリサイタルを聴きに行った後です。

三浦さんもファンだそうです♪

帰り道、真夏なのに「涼しい」と感じました。
頭の中でずっとやかましかった激情が、すーっと収まってゆくのを感じました。
自分の状態が、あるべき状態に整ってゆく感覚。
「ああ…この曲は気持ちの良い音楽だ。」
苦手意識がふっと消えてゆく感覚が幸せでした。


もっと踏み込めたら、バッハの音楽の完璧さを実感して、崇拝できるようになるのかもしれません。
反対に「バッハの音楽は、完璧だから素晴らしい」と説明するのも、どこか違う気がします。
三浦さんは「楽譜に書かれている音符をただ忠実に、私情を挟まず演奏したい」と理想を語っていました。それはともすれば「機械的に楽譜を再生する役目を美徳とする」と誤解されそうですが、まったく違う理念です。

ちょっと今の私では、言葉で説明して理解を求めるのは力不足です。
コンサートを終えた後でも、まだスッキリと通りの良い言葉を編み出せていません。

バッハの曲を奏でるためには、我を張ってはいけないが、無心ではあの音楽は立ち上がらないと思います。
何かこう…愛でもなく、"惚れ惚れと向かう心"を代入すると、あの数式は完成するのかもしれません。
そんなふうに感じるほど、7月14日のリサイタルでご披露頂いたバッハは、奏者の惚れっぷりが注ぎ込まれていて、故に、たっぷりと豊かな納得をもたらす音楽でした。

ほんとに、好きなんだ。
ずっと、好きなんだな。

この取り留めもない雑文を書きながら、三浦さん今日もバッハ弾いてるのかな、と思いました。

確実に、これからもずっとバッハを弾いて、惚れ惚れと敬愛してゆく演奏家なのでしょう。

またいつでも、聴きたいです。
私たちはただついてゆくまで。
(部長:本橋 快 拝)

今日からもずっと

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