『今昔こばなし集』「アメフラシ」

今となっては昔のはなしだが、あれは確か夏頃だったと思う。私が小学校2年生の時だったと記憶している。私には、ハルナという産まれた時からの幼なじみがいた。ハルナとは保育園も同じで、もちろん小学校も同じだった。

我が母校である東町小学校は、私が小学校5年生の時に35周年を迎える、当時で言えば『新しい』小学校であった。
わたしとハルナは、幼なじみで仲が良かったけど、結局、小学校6年間、一度同じクラスにならなかった。

東町小学校は、新しい小学校でありながら、校舎が南側に建っている珍しい学校だった。
なぜ珍しいかというと、公立の学校の校舎は、大体が南側以外に建てられるからだ。南側に校舎が建っていると、午後には校庭の半分が日影に入る。雪が降ると、なかなか溶けない。

そんな南側に建つ校舎の2階の一番東側に、図書室は位置していた。

私が初めてその名前を耳にしたのは、ちょうど中休み(2時間目と3時間目の間の休み)の時だったと思う。

「ねえ、よーちゃん」

ハルナは私のことを『よーちゃん』と呼んだ。別にハルナが特別じゃない私は、みんなからそう呼ばれていた。

「アメフラシって知ってる?」

「……アメフラシ?」

ハルナ曰く、『アメフラシ』は花の名前らしい。
詳しいことを聞いてもよく分からなかった私は、図書室へ行き、図鑑でビジュアルを確認することにした。

アメフラシ、青い花だった。しかも、見た目は___

「……朝顔?」

「そうなの!朝顔にそっくりでしょ?でも、それはアメフラシ」

アメフラシは、朝顔、昼顔に並んで図鑑に載っていた。朝顔は朝に咲く、昼顔は昼になっても咲いている。

「でね、よーちゃん。そのアメフラシ、土から抜くと雨が降るらしいよ」

「……まさか」

「本当だよ!昨日、テレビで言ってたもん」

ハルナは、昨日家で見たテレビの話をしたかったらしい。
私は、その頃はあまりテレビのバラエティ番組が好きではなく、20時には就寝していたので、ハルナの話は新鮮だった。

アメフラシの話は、私も興味を引くものがあった。

その日から、私とハルナのアメフラシを探す冒険が始まった。

冒険と言っても、休み時間になれば、まずは図書室に行ってアメフラシのビジュアルの確認(何故かアメフラシの花びらの形などが記憶に残りにくかった)をし、そして学校の敷地内を探すという小規模な冒険だった。
当時の年齢からすれば、自分たちで何かを探そうと一生懸命になっている自分たち自信がかっこいいと思っていたし、冒険という名前をやたら付けたがったのもある。

雨が降りそうな時は、特に注意して探してみた。

2週間続いた冒険は、飽き、という最大の敵によって倒されそうになっていた。
その日は、快晴だった。

このような日は、アメフラシを探しても見つからないと思っていた。

「ハル、アメフラシ探すの飽きてきた。」

極めつけは、このハルナの発言である。
何となくこの冒険を終わらせる潮時な気がした。

図鑑を閉じ、教室に戻ろうと2人は立ち上がった。
私たちは、小学校生活2年目ともなるとお互いに、それぞれのクラスで人間関係を築けるようになっていた。ハルナにも私にも、クラスメイトに仲良しがいた。

「アメフラシを見つけたんだ」

私でもハルナでもない誰かが言った。

声の主の方を見ると、そこには同い年くらいの男の子がいた。

はて。このような子いただろうか。

「え!どこに!?」

私の疑問をよそに、ハルナがその男の子に詰め寄る。
なるほど。ハルナの知り合いだったか。

ハルナには年子の兄が同じ小学校にいた。
私はこの男の子が、ハルナの兄の友達か何かだと判断した。

男の子は、アメフラシを見つけた、と言い、私とハルナを連れていく。
そもそも、なぜその子が、私とハルナがアメフラシを探しているのを知ったのか、など後から思えば疑問は尽きないのだが、その時は何も思わずに男の子についていった。

東町小学校には出入口となる門が2つある。1つは、東側にある正門。もう1つは、校庭の北側にある北門である。
私の家からは、北門が近いのだが、北門は朝の登校時しか解放されない。

私とハルナを引き連れた男の子は、既に閉め切られている北門のそばにある花壇を指さした。

「ほら、アメフラシ」

そこには、白……いや、薄いピンク色の朝顔のような花が咲いていた。ツタは見えなかった。朝顔と同じならツタがあるはずなのにな……。

でも、私はそれがアメフラシであることに、妙に納得した。いくら思い出そうとしても図鑑のアメフラシのビジュアルが思い出せなかった。
ただ、図鑑の写真とは違う色だと感じた。

色の違う同じ種類の花などたくさんある。

薔薇も百合も紫陽花も朝顔も1色ではない。

その時、男の子とハルナが話していたかどうかは分からない。しかし、私の手は、無意識にアメフラシへと伸びていた___

ブチッ

そのままアメフラシを引っこ抜いた。根は見えなかった。中途半端に茎のところで切れてしまった。そんなことどうでもよかった。

「あ、」

そこからは早かった。

ポツ

ポツポツポツポツ……

音が聞こえる程、大粒の雨が空から降ってきた。しかし、空は明るかった。お天気雨、というやつだ。

数秒前までが嘘みたいに雨が降り続ける。

「アメフラシが泣いたんだ……」

男の子がそう呟いて、校舎に向かって走り出したので、私とハルナも慌てて追いかける。

私は土との繋がりを絶ったアメフラシの花を、いつの間にか手から離してしまったらしい。手には何も持っていなかった。

その後、どうなったかというと、私とハルナはそれぞれの担任の先生に怒られた。(ハルナは泣き虫なので泣いていた)
私たちは休み時間が終わっていることに気づけなかったのである。

そして、昇降口について慌ててどこかに行ってしまった男の子は、驚くことにハルナの知り合いではなかった。
ハルナは何故か私の知り合いだと思ったらしい。

私たちはその後、あの熱意が嘘のように、アメフラシの話をしなくなった。
『アメフラシを土から抜くと雨が降るらしい。』
嘘じゃなかった。
雨は降った。

それなのに、私はあの2年生以降、植物図鑑を開くことを躊躇うようになった。そして、とうとう植物図鑑を手にしないまま、小学校を卒業した。

あの男の子が誰だったのか、卒業が近付き、あの頃より少し大人になったハルナに聞いてみると、ハルナはアメフラシのことすら記憶から消していた。(2年生の時に先生に怒られた、という記憶はあるらしい)

「アメフラシが泣いたんだ」

私は男の子のあの言葉を時たま思い出すことがある。

雨が降っていたら、それは誰かの涙かもしれない、と。


今となっては昔のはなしだが、私はアメフラシという花を抜いたことがある。アメフラシは抜くと雨が降るらしい。
晴れの空に雨が降る体験をして、その効果の実を知ることとなったのだが、おかしなことに、今Googleの検索欄に、『アメフラシ』と打っても植物は出てこない。
ハルナはアメフラシを覚えてないし、私は男の子の顔すら覚えてない。
あの後、門の改装工事のため、花壇は壊されて今ではその存在すらない。

私は、夢でも見ていたのだろうか。

でも、あの時の男の子の言葉だけは、今でも忘れないのである。
雨が降れば、それは花の涙なのである。


ちなみに、今Googleで『アメフラシ』と打つと、軟体動物が出てくるが、それは地域によっては「ウミウシ」と呼ぶらしい。





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