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「砕かれた葉」アメリカ人音楽家が茶道に見出したキリストの教え

ごきげんよろしゅうございます。
ちょっと今日は面白いニュースを見つけたので、noteでシェアさせてください。

イギリスの報道によると、2024年にオックスフォード辞書に英語化した日本の単語が収録されたそうです。
ほとんど食べ物ですね笑
アニメが普及したことで、BentoやOnigiriが
「なんだあれは?」
と、謎の食べ物として認知されていましたが、来日する旅行客が増えたことで正体が明らかになりました。
今年は

Katsu
Karaage
Okonomiyaki
Tonkotsu
Donburi

も収録されて、納得感しかないです。
Sushiは日本食というよりは、ちょっとおしゃれなヘルシーフードとして定着していて、
「カリフォルニアロールは寿司じゃない!」
と、目の敵にするのが馬鹿馬鹿しいくらいです。
ニュージーランドのオークランド に行った時、地元のスーパーマーケットに立ち寄ったのですが、デリカには日本食コーナーが作られていて、SushiだけでなくUnagi-rollやSalmon Donburi、Surimiという謎の巨大なカニカマが売られていて、身なりのいいサラリーマンが熱心に覗き込んでいました。

食べ物以外で目を引くのは、

Kintsugi

ですね。
割れた焼き物の破片をつなぎ合わせて、にかわと金箔で修理する技法です。
Kintsugiを解説するアナウンサーが、
「不完全な美を表現する技法」
と言っていたのが印象的です。

まったく裏付けがなく、私の個人的な感触なのですが、西洋の人の目で日本文化に触れる時、
「不完全さ」
「アンバランスさ」
をキリスト教の文脈で見ているはずです。
日本人の目線だと、金継ぎは
「もったいない」
「創意工夫」
元の完璧な茶碗より、偶然が作ったひび割れを残すことに面白みがある、と見るのだと思います。
でも、たぶん、キリスト教の文化圏で育った人だと、
「罪を赦す」
「愛する」
のニュアンスを感じるのでは。
そんな心証を持っています。

西洋人が日本文化に触れた時、どんな反応をするのかは、茶道を習っている私も気になるところ。

「砕かれた葉」ロジャー・W・ラウザー
ジュリアード音楽院でオルガンを専攻し、現在は東京で生活するアメリカ人が、茶道を経験してお茶や茶碗に聖書の教えを見出していくエッセイです。

聖書の一節、

主は心の砕かれた者の近くにおられ、
霊の砕かれた者を救われる。

詩篇34:18

禅寺で修行に疲れた脳をリラックスさせるために服用される抹茶も、割れた小さな破片をつなぎ合わせて金で装った茶碗も、一度壊れることで癒しと平和に近づいている。

金継ぎで修復された茶碗を見ているうちに、
「これは福音だ!」
人間は原罪を負って壊れているし、世界も壊れている。
それを神は黄金で継いで完璧な姿にしてくださる。
著者はそう説くのが、いかにもキリスト教的な見解だなあと思います。
ちょっとこじつけを感じるところもあるのですが、ルーツが異なる人の感性をとても興味深く読みました。

茶道を外国人に説明するなら、どういう切り口を取ればいいのか?を考えることがあります。
日本での歴史的背景を踏まえるなら、茶葉は貴重品だったので、大事な客人に振る舞うために特別な建物と道具を用意し、上流階級の社交として発展したと説明するのが正しいとは思うのですが、それだと
「へー」
で終わってしまい、ありきたりです。

やはり相手の文化に寄せて、キリストが弟子とパンとワインを分け合ったように、霊妙な作用のある貴重な飲み物を主人が振る舞うことで、場の人の心がひとつになり平和をもたらすのだ、と説明するのがよいかなと思っています。

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