自律的に動くために~仕組みさえ作ってしまえば~

気付くまでの道のり

仕組みを作って、それに従って動いていけば、結果がでる。

まあ、至極当たり前のことなんですが。

そこに気付くまでが長いのですよ。

私の場合、どこかに雇われて仕事をすることが仕組みの一つとして機能することが理解できまして。

お勤めという重石が外れてしまったら、一人ではやる気が起きない、ということを痛感しております。


起業するとか、しないとか、そんなことより、自律してやっていけるかどうかを見極めることの方が大切な気がします。

自律的に働けないと、すぐに詰んでしまうのがフリーランスの世界。

日々、ダルダルしている間に、どんどん時間を失って、何にもできないまま時間が過ぎていく…

容赦なく時間は流れていく。

時間をぐずぐずと使う

私は、的はずれな憧れと、誰かのせいにすることで、ぐずぐずと時間を使ったことがあります。

一年の間、ある程度の自由な時間を持ちながら、起業せず、クライアント獲得もせず、文字通り何もせず、できない言い訳をしながら、できない時間を過ごしていました。

失敗が怖かったのか、誰がこわかったのか、よくわかんないけど、とにかく動けませんでした。

罪悪感と背徳感にチクチクと心を痛めながらも、具体的に何にもしなかった。

痛いなら動けよ。ていうね…

ずっと責め続けることが目的だったのかもしれない。自分いじめをしていた。ということです。

一年間、だらだらと過ごして、自分であほかと思う。

その時には休養が必要たったのなのかもしれない。けど、それにしてはあまりにも自由だった。

ぼんやりとした日々を送っていたつもりはないけれど、

ぼんやりとしていませんでしたか?と言われると、

ぼんやりしていたかもしれません、

いや、

ぼんやりと、しーてーまーしーたー。

そーれーがーなーにーかー。

と自分に言いたくなるくらい、ぼんやりが常習化していて、疑問にも思わないという体になってしまいました。


ぼんやり癖からの脱却

私は、ぼんやり出来るなら、極限までぼんやりする性格のようなので、私には仕組みが必要ということがよーくわかりました。

ぼちぼち働いて、何となく生活を整えることが、今の私にとっての仕組みとなっています。

ただ、雇われて働かされるのではなく、自ら雇われることを選んで自ら働く。そんな感じ。

今のところは、この感じをもう少し続けていこうと思います。

自分を知って仕組みを使う。

仕組みを使って、楽に生きていこうと思います。

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