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関連性理論を読み解く(1):臨床の場で感じるざらっとした感情を説明するために

1はじめに:なぜ私は彼らに共感できないのか

”仕事をするのにどうして仲間になる必要があるのでしょうか”
”他者と協力して働くという意味がわかりません”
”『人のために動きなさい』と言われて腹がたちました”

自閉スペクトラム症の就労支援の臨床の場にいると、これらの言葉に出会うことは決してまれではない。筆者も最近は少し慣れてきたが、当初目の前でこのような発言に遭遇するとぎょっとしたものだった。”えっ、そこから感覚がちがうのか………“。とっさのことでどう返したよいのか思いつかなかったときにはそのまま“えーー、そうなんだぁ”と笑うしかないこともあった。
また日常でのやりとりで違和感を感じたことについて説明してもらっているうちに、どうもそれは一般社会では善意や親切さとして解釈されるやりとりではないかと思うことを、彼らの視点から説明されると「人格を否定された」「邪魔をされた」と表現されることもあった。そんなときの私は、言葉には表せないざらっとした感情を抱くことが多かった。その場で彼らをただすことはなかったが、時間をおいて思い返したときにはなんともいえない両価的な感情に襲われた。何が私にそのような感情をもたらすのか。

その一方でにASD者たちの話も決して嘘や偽りの報告をしているというわけではなく、彼らの視点から捉えられた“生きづらさ”を説明しようとしているのであり、そのことを話す彼らに怒りや不安の感情が表出されていることも知っている。ASD者の“生きづらさ”“孤独”がこのような定型発達者とのコミュニケーションの齟齬による結果として、彼らの口から表現されているのではないのだろうか。そのように感じるからか、筆者は診療場面で ”人というのはそもそも協力するものなのだから、そのことの気づきましょう” という言葉をかけることにはためらいがある。「自分は当惑している」と表現してみたり、”そう思うんですね”とうんうんとうなずいて肯定も否定もしないという態度を示してその場の対処をしている。

こういった自分の対処がただしいのだろうか。この疑問に対峙して説明できるようにしたい。そう思った背景には、自分も含めて支援者がASD者へ不適切な関与をしてしまい被支援者を傷つけてしまうことがあること、また支援者自身も支援の過程で傷き、ASD者へかかわることを回避していくことがあるという事実を知っているからでもある。

我々は同じ言語を話し、似た文化圏のなかで生活している者は、比較的近い感覚を持っていると思いやすい。また経験や生活史において異なる個人であっても、さらに異なる言語や文化のなかで生活している他国の人であっても、「人間」として共通するなにかの枠組みを持っており、どこかいくぶんかでもわかり合えるのではないかと期待してしまう。こうした期待をもう少し掘り下げて考えていかなければならない。

人類学者であるD・スペルベルと言語学であるD・ウィルソンは、発話を理解するために、「人間にはどんな形態の共有情報が使えるのか。伝達の中で共有情報はどのように利用されているのか。関連性とは何で、それはどのように達成されるのか。関連性の探究は伝達の中でどんな役割を果たすのか」という問題に目を向ける(スペルベルら2010:45)」として「関連性理論(relevance theory)」を展開した。

本稿では「伝達と認知(Communication and Cognition)」を「関連性(relevance)」から捉えたスペルベルらの著作を参考に、ASD者の認知特徴について考察することを目的としたい。ただし、ASD者の認知特徴はいまだ解明されていないため、本稿はASD者と定型発達者との相互作用の中でおこるコミュニケーションの齟齬に注目して、関連性理論を取り上げていくことにしたい。 

2関連性理論とは何か:筆者の着目点と関連性理論の概観

関連性理論の基本構造はいたってシンプルである。関連性理論とは、「発話がいかに理解されるかということに関する理論」、つまり人々(定型発達者)の理解過程へ着目した研究である。なかでも中核となる「関連性」とは何かといえば、ある想定がある文脈中で何らかの文脈効果をもつとき、そしてそのときに限りその想定はその文脈中で関連性をもつということである。

 さて、関連性理論の説明に入る前にいつくか確認しておきたいことがある。まず第1に関連性理論は、当初、ASD者までを射程に入れて議論された理論ではない。関連性理論の改訂版において、スペルベルらは、意図明示的刺激の選択を伝達者の優先事項のみならず能力にも制限されるとして「最適な関連性の見込み」(スペルベルら2010:331)に伝達者の能力を本編以上に強調している。そしてこのような改訂を行ったとしても、関連性理論の骨子は崩れないことを指摘している。しかし認知障害に伴う障害者(認知症、高次脳機能障害、ASDなど)へと拡大した場合、果たして関連性理論の理論的妥当性は確保できるかのだろうか。この点は検討を要するだろう。ただし少なくとも、認知障害を伴う障害者と定型発達者とのコミュニケーションにおいて、定型発達側がどのように彼らとの発話を理解しているのかを分析することは可能であろう。

次に関連性理論は、言語学における語用論に主軸をおき、認知心理学の視点などを援用しながら発話の理解に対する操作概念の形成を試みたものである。この理論で説明されている発話事例は、現実の生きられた相互作用場面からの事例ではなく、あくまでスペルベルらが用意したモデル事例である。例えば彼らが考えた事例は、知り合い同士の男性―女性(メアリーとピーター)関係と思われるやり取りや、場面設定はイギリスであろうか、行きずりの旗売り―通行人関係のやりとりなどである。
このように関連性理理論の特徴は、その抽象度の高さ故に小説といった物語からモデル事例までの広い範囲の発話分析に応用できる。しかし実際、発話は、生きられた人間同士で、日常生活場面、つまり相互作用状況という場で生起するものである。生きられた発話を分析するには、スペルベルらの言語学や認知心理学を土台とする推論過程(関連性指向)や意図明示的行為に、社会という要素を追加しなければならない*1。社会という要素とは何かを言えば、実際の相互作用場面は、時間や空間によって規定された舞台装置、その舞台内における人びとの社会的テリトリーの把握、場面で期待される制度的な役割および実際のパフォーマンス、その場の相互作用に関与する者同士の生活史に対する個々人の把握状況など実は多岐にわたる情報が処理されている。そうした環境と人の認知機能の相互作用によって、短期記憶および長期記憶の選択と修正に影響しており、その影響力は個人にとっての関連性、さらには文脈における関連性と実際の発話行為の双方に大きな影響力を及ぼすと考えられる。このように状況場面という要素を追加すると、発話を理解するという課題はさらに複雑なものとなる。知的に遅れを伴わないASD者とのコミュニケーションと向き合うことためには、この複雑さに耐えうる理論形成が必要となる。そこで「関連性理論」についてとりあげたのちに、次稿において状況場面を認知環境として捉え、人々の相互作用について論じた社会学者E・ゴフマンの理論への応用を検討することを計画している*1。



*1:関連性理論は、言語学者であるディアドラ・ウィルソンと人類学者であるダン・スペルベルによる共著である。そして執筆箇所の担当を記載していないことから、ふたりの議論の末に生み出されたと思われるが、メタファーやアイロニー、小説の理解といった言語学よりの考察へは深入りしない。理由は言語的意味で処理する課題や言語の読解で関連性理論を検討してみても、筆者が知りたい自然発話におけるやりとりにおける文脈や推論のプロセスに関する知見の発見につながりにくいと考えているからである。

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