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人間が生きる意味


人間は何のために生きているのでしょうか。

悩み苦しみ、息苦しさを覚えた時、

誰もが一度は浮かんだ疑問ではないでしょうか。


長い年月を経て、文明は進歩し、お互いを傷つけ、ボロボロになりながら歩んでいた人間に、この世の真実の話をしてくださった方がいます。

中山みき(1798年6月2日~1887年2月18日)

彼女は、この世を形成した神(人間の親、さらに言えば、生きとし生ける全てのものの親)の意思を、自分の口を通して、又、筆に書き記して伝言してくださいました。

ただの絵空事ではないというのは、

不思議な助かりが次々と現実に現れ、今もなお奇跡のような助かりが、沢山現れてきていることが証明しています。(癌が消えるなど)

そして、この教えの特筆すべき点は、

天然自然の法則、そして、人間が生まれてきた理由

はっきりと明示されてあるところです。

科学的であり、本質的である。

物事の見え方が一気に変わり、幸せしかない、本当にありがたい道が見えてくる。

それが、天理教です。


人間はなぜ生きているのか。


人間は一体何のために生きているのか。

この問いに対して、お道を歩む人(天理教の信者)は答えることができます。


それは、「陽気ぐらし」のためです。


人間が陽気に暮らす様を見て、神も楽しみたい。


ここに真実があるというのです。


「陽気ぐらし」は言葉足らず...?


しかし、ある時、おやさま(中山みき)が仰ったニュアンスとズレがあることに気付きました。

『おふでさき』(おやさま直筆の書き物)に

月日にわにんけんはじめかけたのは
よふきゆさんがみたいゆへから(14-25)

この”よふきゆさん”という言葉。


『陽気遊山』



これこそがまさに、人間創造の目的であるというのです。

この"遊山"という表現が、何とも言い難い大事なニュアンスを示しているように思えてなりません。

遊び心、躍動感、発展、協力、励まし合い、楽しさ...

そんなニュアンスが感じられます。


「陽気遊び」とも...?


『おさしづ』(原典の一つ)にはこうあります。

これから先は陽気ぐらし陽気遊びという、楽々の心を一時定めにゃならん。(明治28年5月28日(陰暦5月5日)朝)

『おさしづ』の中で、

「陽気ぐらし」という言葉は5回

「陽気遊び」という言葉は14回、登場します。

遊び心のようなものをとても大事にされていることが分かります。


また、陽気という言葉は、

陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。(おさしづ 明治30年12月11日)
真実から人を助ける心を陽気という。(かしものかりもの 加見兵四郎)

つまり、

陽気 = 人を助けること。勇ませること。


まとめ


人間創造の目的、起源は、陽気遊山にある。

陽気遊山とは、生きとし生ける全てのものが、他の者を助け楽しませ、遊び心の中に喜び勇んで通る道のこと。(私の定義)

陽気遊山を見たい、陽気遊山を人間に見せてやりたい、という親心から

全ては始まり、

全てが成り立っている。

とても壮大で、果てしない物語の中に、

私たちは生かされているのです。


※「元の理」を掘り解明する為、図解で整理してみるという試みをしています。おやさまの言葉に『さとしはない、さとるのや』というものがあります。身上諭し、事情諭しがなくとも、理が見えてくるもの。諭しではなく、理が分かって自ら悟れるものを作ろうと、励んでいます。

下記リンクより是非ご覧ください。

陽気遊山の道(元の理 図解の試み)




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