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記憶に残る児童書を書き連ねておく その3(完結)

児童書紹介シリーズの第3回兼最終回である。あまりだらだら続けても仕方がないのでいったんここで打ち切ろうと判断した。

さて、これまでは読んでて面白く、印象に残るというテーマで本を紹介してきたが、今回は少し毛色が違う本を紹介する。内容は忘れるかもしれないが、読んだという記憶だけは確実に残るような本を2冊だけピックアップして紹介しよう。

二十四の瞳

第2次世界大戦前後の動乱を教員の目線で描いた小説が本作「二十四の瞳」である。教育的価値が高く、話としても面白い。映画化、アニメ化、ドラマ化もしており、折り紙付きの名作である。私が読んだのは高校生くらいだったかな…。もう少し若い頃に読んでおけばよかったと後悔している。

24の瞳とは教え子たちの人数を意味している。女学校を卒業後、教員となった主人公は島の分校で12人の小学1年生たちの担任を任される。ハイカラな主人公は保守的な島の人からは敬遠されながらも、子供たちから信頼を集めていく。舞台となる地名は作中では明言されていないのだが、瀬戸内海の小さな島という記述や作者の出身地、映画の舞台となった等様々な理由から香川県小豆島が舞台というイメージが根付いている。

実をいうと、私が本作で記憶に残っている場面は限定的だ。主人公と子供たちの交流のパートはよく覚えていない。だが、そのあとに発生した出来事はよく記憶している。第二次世界大戦の開幕である。1939年に開戦した第2次世界大戦の渦中へと主人公、そして大人になった教え子たちが巻き込まれていく。ある者は兵隊として戦地に赴き、またある者は消息を絶つ。

戦後、主人公は代用教員として再び教壇に立つのだが、新米教員だったころに教えた子供たちの面影を児童たちの中に見つける。教え子の近親者である。希望を持ち、曇りなき眼を持っていた子供たちと今、目の前にいる子供たちの姿をだぶらせて涙する。

戦争の悲惨さというのは近親者の死だけにはとどまらないのだ。主人公は教員として理想を抱いて教壇に立ったのであり、教え子を戦場に送り出すために育てたわけではない。戦時中も主人公は名誉の戦死ではなく生還を望むと息をひそめて教え子に声をかける。少数派ではあったもののそうした人物は当時も存在したのだろうと推定できる。歴史上の出来事である戦争を庶民の視点から体感するにあたって本作は優れた児童書に仕上がっている

ちなみに青い鳥文庫版ではイラストを変えて親しみやすいものになっている。私の好みは角川文庫版の方だが、子供たちからすれば青い鳥文庫版の方が好みかもしれないのでこちらのリンクも貼っておこう。

不思議を売る男

本作は古道具店に転がり込んだ男が、まことしやかに古道具にまつわる物語を客に語って聞かせる。一行であらすじを説明するとそのようになる。

なぜ記憶に残っているのかといえば、ある時ふと思ったからだ。「あれ?少年とその親が戦争を題材としたボードゲームで戦って、時々仲裁人による介入で独自のイベントが発生して、ゲームが終わるよりも前に親が自分の子供の本性に気づくって話ってどの本だったっけ?」と。実はそのような物語は「単独では」存在しない。本作「不思議を売る男」で主人公が語った一篇の物語を私が一冊の本と勘違いして記憶していたのである。

作者の意図とは異なるかもしれないが、私は本作を短編集だととらえている。ホラーから寓話、心温まる物語まであらゆるジャンルを飛び越えて古道具を題材に男は物語を紡いでいく。…とはいうものの実は私は上記の話以外は記憶に残っていない。読んだのは確か小学校中学年くらいだったので勘弁してもらいたい。

さて、ではなぜ本作を勧めるのか?それは本作が物語の意義を間接的に示してくれる児童書だからである。うろ覚えだが大筋はあっていると思うので本作の別のエピソードを紹介させてもらいたい。オークションで男が勝手に購入した家具を見つけて叫ぶのだ。「これはかの有名な○○卿のキャビネットではないか!」と。男はその場で家具に関する物語をひとたび語れば、居合わせたオークションの参加者たちはこぞって小切手に金額を記入して男に差し出す。物語が付与されるだけでただの古ぼけた家具に高値が付くようになるのだ。

大人になると酒を飲んで飯をかっくらい、上司の悪口を言うしかなくなってしまう人間もこの世にいる。それくらいしか娯楽がないのだと勘違いしている。そうしたときには本作を読んでみてほしい。物語に対して人は価値を見出すのだということを思い出してほしい。自分語りになってしまうが、私はその性質が顕著である。旅行に行っても写真は撮らない。写真はいわば挿絵で、それだけでは物語にならない。そうではなく、旅行に行って何が起こり、何を感じ、どういう行動をなぜ行ったのかを鮮明に記憶するようにしている。旅行後に友達に対して物語れるようにするためである。そしてそれが一番楽しい。自分で物語を創り出せる喜びに浸れるからである。本作を読んで物語が持つ力を感じ取ってくれる子供たちもきっといるのではないだろうかと夢想する。

最後に

本は良い。手で持てるだけのサイズにもかかわらず、文章だけで世界を広げてくれる。年月を経ると内容は忘れてしまうかもしれないがそれでいい。太宰治が述べたようにcultivateするのが重要で、それ以上の意味なんか求める必要なんかないんだ。「二十四の瞳」も「不思議を売る男」もきっと読んだ子供たちの世界を広げてくれるからこそ、私は推奨している。

以上である。長々とお付き合いいただき、感謝する。


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