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曖昧な表現に我々はいつも悩まされる

職場で書類仕事をこなしているとたまに憂鬱な気分にさいなまれる。仕事が遅々として進まなくなるタイミングがあるのだ。

どういう時かと言えば下手な文章を読む際である。
文意が取れないケースもあるが、それよりも頻繁にあるのは文章が複数の意味に読めるケースだ。どちらの意味か判別がつかず、私は非常に困ってしまう。

私の国語力が低いだけ?それは一理ある。
ただ、文章読解に困ったことがない人は以下の質問にどう答えるだろうか?

「遊園地の定番といえば?」

この問題は「一致するまで終われまテン」で出題されていたものである。
https://himatami.jp/games/12

さて、回答は決まっただろうか?
私が思うにこの問題への回答は2種類ありえるだろう。

「テーマパークを答える」か「アトラクションを答える」かだ。

前者の例は「ディズニーランド」で後者の例は「ジェットコースター」である。ちなみに私は後者の回答をするだろうが、前者の回答の方が多いだろうとは頭では理解している。想像だが比率は9対1程だろう。

遊園地の定番を聞かれているのだから、「富士急ハイランド」や「USJ」のようなテーマパークを答えるのが普通だろうと多くの人は思うだろう。その感覚はきっと正しい。

一方で、私は「ジェットコースター」や「観覧車」のようにアトラクションで回答する。無意識のうちに「遊園地の定番(のアトラクション)といえば?」と補うので「ジェットコースター」と回答する。

jing shiによるPixabayからの画像

意味が分からないって?なら「サイゼリヤの定番といえば?」と聞かれたらドリアなりパスタなりを回答するのではなかろうか。
これは無意識に「サイゼリヤの定番(メニュー)といえば?」と補っているのに他ならない。「定番」という言葉は便利な言葉だが質問文が言葉足らずなため、読み手は書かれてない文章を補って読んでしまう。

初めの問いに戻ろう。「遊園地の定番といえば?」に対して「ジェットコースター」と回答する私は次のように思考している。定番のテーマパークを尋ねたいのなら「定番の遊園地といえば?」と質問すれば誤解の余地のない文章になる。入れ替えればいいだけなので文章量は増えず、読みにくくならない。にもかかわらずあえて「遊園地の定番といえば?」という質問文を使ったのなら欲しい回答は「遊園地の定番アトラクション」に違いない。「遊園地の定番アトラクションといえば?」と聞かないのは文字数削減のためだろう。だから「ジェットコースター」と回答しよう…とまあこんな感じである。

答えを「考えて」しまうというのが厄介だ。別に間違った回答をするのはいいのだが「考える」時間がもったいない。

別の例を挙げよう。
「ボタンを押してください。赤いランプが10回点滅し終えたらボタンを放してください」
さて、この文章はどういう"失敗"を生むだろうか?

文章の意図はこうだ。「ボタンを押した状態を維持し、赤いランプが10回点滅し終えたらボタンを放してください」
だが初めの指示が「ボタンを押してください」であるため、ボタンを押してすぐに放す読み手が発生すると予想される。これは指示が悪い。一番目立つ1文目が「ボタンを押してください」で完結しているため、「押し続ける」ニュアンスが2文目を読まない限り明確にならない。

ひとまず二つの例を挙げてみたが、私の場合、多くの場面でこうした事象に出くわす。出くわすたびに文章の書き手に意図を尋ねるのだが、多くの場合彼らは「何を当たり前のことを。こんなのこういう意味に決まっているじゃないか」という態度を取る。態度についてはその人の人柄の問題なのでよいのだが、書き手に問題意識が共有されないのは大きな問題だ。

文章を他の意味に解釈できてしまうと私のような人間は非常に困る。仕事で必要な情報を得るために①文章の意味を複数考えては②最もあり得そうな選択肢を取捨選択し、場合によっては③筆者に意図を尋ねる必要があるため余分に時間がかかる。

本当に勘弁してほしいのだが、なかなかこの感覚は他の人にはわかってもらえないようだ。ちなみに、よく連絡を取る同僚には本稿の問題意識を直接伝えてある。私は深読みしてしまう癖があるのでなるべく明快な文章を書いてほしいと。

もしも周りで失敗が発生したならば、失敗原因は情報伝達のミスかもしれない。本稿の記述は文章に特化して書いているが、会話でも同様の現象は発生しうる。私は、指示が悪い場合も往々にしてあると考えている。
我々は良い文章を書いて、明快な指示を出すべきだ。文章を読む人が多くなるほど読み手の解釈は多様化し、失敗は発生しうる。自戒も込めてここに記しておこう。


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