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ゲンロン8にもう1ピースを考えてみる

 テレビゲームについての批評を特集した『ゲンロン8』。とにかく良いのである。
 ゲーム20年史などでは「いや、あのゲームの重要性が語られてねぇし」と自分なりのゲーム観から憤る人も多いことだろう。しかし、私はあえてゲームでないものを加えることで、この本の感想としたい。

 そのの1ピースは「イノケン」である。
 イノケンはもちろんゲームクリエイター、飯野賢治のニックネームだが、私が表現したいのは飯野賢治ではなく漫画『編集王』に出てくる象徴としてのイノケンである。

 『編集王』は90年代にビックコミックスピリッツで連載された漫画編集者を主役とした漫画である。
 イノケンは主人公カンパチがゲーム会社を手伝いに行った先で再会する少年時代の親友で小さなゲーム会社の社長だ。明らかに飯野賢治を意識したキャラクターだが、この漫画の登場人物はほとんどが芸能人等を真似ている。副編集長の宮史郎太は宮史郎だし、編集長の疎井一郎に至っては小沢一郎だ。漫画の漫画であるこの作品にはこういったキャラクターがよく合っていた。

 クソゲーを量産していたイノケンはカンパチらとの交流によって初心を取り戻し、作家性の強いゲームづくりを再開する。 
 そのゲーム完成祝いの中で、かつて漫画黎明期に出版社に入社し、その発展と共に生きてきた宮史郎太は、ゲームが漫画のように無限の広がりを持って発展していくその始まりに立ち会えた喜びを口にする。

 この感覚は90年代にはすんなりと入っていくものだった。ゲームが作家性を持った作品として様々に発展し、人々の心や社会に影響を与えていく。その可能性が確かにあの頃にはあったのだ。
 イノケンはそのゲームの可能性の象徴となる言葉だ。

 あれから20年。あの頃、ゲームの可能性を感じていた若者達も今は中年となった。編集王の作者の土田世紀も亡くなった。
 『ゲンロン8』を読むと、あの頃に感じた可能性は実は消えてなどおらず、今につながっていることを感じられるのだ。これは感動した。
 奇しくも『編集王』でイノケンがつくるゲームは臨死体験のゲームで、日本での販売ではなくアメリカで販売されることになっている。これは現在から見ると非常に今っぽい感じがして、色々なことを予見しているようにも見える。


 『ゲンロン8』のゲーム20年史にもし1ピース加えるのなら、20年前に多くの人がゲームの可能性を感じていたという想い。それを歴史の中に書き加えたい。

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