「みんなでがんばろう」を僕は疑う
対コロナで「がんばろう」という声がいつの間にか聞かれるようになった。最初は「うちにいよう」と”自粛”だったが、「うちにいる」「三密を避ける」ことをみんなでがんばるという風になっていた。そしてことあるごとに多くの著名人から「みんなでがんばろう」と言われるようになった。
私も最初はそう思ったが、だんだんと居心地が悪くなり、そして今はやや怖くなった。今このことを書くのはかなり覚悟のいることだが、それでも書こうと決めた。私は「みんなでがんばろう」でいいのだろうかと悩んでいる。
なぜ悩んでいるのか順を追って書いてみたい。
① がんばったらうまくいくのか?
8割減が叫ばれている。人との接触を8割減らせば2週間後にはコロナの増加を相当抑えて感染を収束させられるのだと言う。
しかし、ここで分からないことがある。人との接触8割減はみんなが努力すれば達成できる目標なのだろうか? 8割減を提唱した8割おじさんこと西浦博北海道大学教授は当初、8割減が必要だから政府に強い対応を望むと言っていたはずだ。それがいつの間にか言わなくなった。
現在、人との接触8割減には届いてないらしい。7割でも6割でも感染症は減らないそうだ。もし、みんなががんばっても8割減が達成できないのだとしたら闇雲にがんばることはあまりに愚策だ。
② いつまでがんばればいいのか?
①でも書いたが、8割減が2週間達成できれば大きく感染を減らせて収束に迎えるのだと言う。7割ではそうならない。この緊急事態宣言はとりあえず5/6までとなっているが、現状では接触を減らす目標は達成できておらず、感染も減っているようには見えない。
政治家達やメディアは「この2週間がヤマ場」という言葉をもう1ヶ月以上使い続けている。永遠に終わらない2週間だ。
これはどれくらいがんばるかにもよるが、人はそんなにがんばり続けることはできない。ずっとは出せないエネルギーを出すからがんばると言うのだ。平常運転をがんばるとは言わない。ずっとがんばり続けることはできないのだ。
③ がんばらない人をどうするのか?
これはどれくらいがんばるのか?という問いでもあるのだが、この言葉の方が危うさが伝わると思う。
みんながすごくがんばらなければならないのだとしたら、がんばってない人は嫌でも目立ってしまう。しかも、今回はがんばらない人は感染を広めるやっかいものかもしれないのだ。個人の事情で感染を広めかねない行動を取った人が日本中で大変な目に遭っている。
ついにはがんばって休業しないパチンコ屋を行政が店名をさらすということまで起きてしまった。あれは嫌がらせを呼びかけているのだろうか。。。
みんなで精いっぱいがんばろう。でもがんばってない人を責めちゃダメ。これができれば理想だが、現実には厳しい。みんなで精いっぱいがんばらなければならないほど、がんばってない人やがんばれない人は目立ってしまう。
では、どうすればいいのか
こんなことを書くと、がんばらなければコロナで多くの人が死んでしまうだろう!と怒られるかもしれない。
しかし、がんばってもうまくいかないことをがんばり続けたり、みんながいつまでも精いっぱいがんばり続けないとうまくいかないことをがんばっている方がとても危険なことだ。現実に今私達はがんばり続けているわけだが、8割減は達成できず感染は続いている。
私達はほどほどしかがんばれないし、長くも続かない。これを前提に考えていくしかないのだ。私は感染症の専門家ではないから具体的な方法はあまり分からない。だが、ぼんやりながら二つの方法があげられる。
一つはすごくがんばらなくても8割減を達成できる何かをやること。一つの例がロックダウンだろう。今からでもロックダウンやそれに付随する補償を行って8割減を達成する。既に私達はこれまでがんばってきたことによって貴重な時間や労力、お金を失っている。今からやってどれくらい有効なのかも分からないが、それでも一つの有力な選択肢なのだと思う。
もう一つの方法は8割減が達成できない前提で物事を考えていくことだ。医療体制を整えながら少しずつ社会を動かしていく。もちろんそれはどれくらいかは分からないが8割減ができた時より多くの感染者や死者が出ることになるだろう。
私にはどちらの方法がいいのか分からない。しかし、評価もせずにただ闇雲にがんばり続ける今の方がはるかに危険に思う。今のこの空気が既に危ういし、何よりこのまま5/6を迎えることが不安でならない。
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