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『愛』のはなし
数年前、「ゆう杏ちゃんが何を書きたいのか、ずっと書いていけば分かるよ」みたいなことを言われたけど、今、どれくらい分かってきてるんだろう?
この呟きは、先程したものなのだけど、振り返ってみると、まだ分かってない気がした。
けれど、『書きたくないもの』は、わりとハッキリしてるんじゃないか、と思う。
それは、「愛さえあれば大丈夫」だとか「愛があれば全て許される」みたいな、そんな、愛を魔法か何かと勘違いした、愛を免罪符にする書き方だ。
これは書きたくないとずっと思ってきたし、書かないできたつもりだ。
愛だけでは風邪は治らないという、昔読んだ本の言葉や人生で培ってきた価値観のせいだと思う。
『愛』を大して信頼していないのか?と思いきや、たぶん、滅茶苦茶信頼してるときもある。
でも、やっぱり、その状態でも、愛を免罪符にする書き方っていうのは、してこなかったと思う。
再び言うが、愛は魔法ではないのだ。
だから、私が書く『愛』って、それだけではどうにもならず、役に立たないことすらあるという、リスクみたいなものを抱えたものだと思う。
私が書く作品のキャラクターたちは、それを理解し、背負いながら、恋人を愛してきてるのでは無いか、と思う。
ずっとBLという恋愛モノを書いてきたけれど、愛を魔法にしないで書くという、ロマンチックさの欠片もないことをしてきた。
愛を魔法にしてしまいそうなときは、そのルートをひん曲げて、書いてきた。
だからこそ、私は、数年前、『最愛のCPの二人は、何があってもずっと一緒というのは、無理のではないか』という発想にのたうち回ったんだと思うし。
これからも、書きたくないことは書かずにいきたい。
そして、『書きたいこと』がわかる日が待ち遠しい。
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