終わらないように隠した1枚をごめんと言ってきみに手渡す
イヤホンを置いて携帯を置いて公園を歩くと、このあたりの上空を横切っていく飛行機が意外と多いことに気づく。
自分の認知には当たり前に限界があって、それを意識しつづけるのは難しい。
一度気づいてみれば、なんだか頻繁に飛行機が空を切る音が聞こえるし、ほんとうは初めからそこにあったはずなのに、新しく生まれてきたかのような気すらする。
コミュニケーションもずっとその繰り返しだった。
分かった気がして、自分の誤解に気づいて反省して、また分かったような顔をしてしまう。
自分の人生の経験も、人と関わった経験も、どちらも足りない。人の心をわかっているつもりで、生きていくことほど無謀なことはないかもしれない。
こっちに越してきて3回目の春だ。
何も持たない自分のままこの街に来て、それでも最近は答え合わせのようなコミュニケーションが増えたように感じる。
お互いにもっと幼い頃に出会った人たちと、多少は経験も兼ね備えた、今現在の自分たちが丁寧なコミュニケーションをとれるようになった。そうやってようやく、当時の真意が分かるようなこと。
そのときも、互いに非があったわけではない。
極力悪いほうのケースを想定して行動するのは、人の常だと思う。特定の相手を想定してるわけじゃないけど、勝手に悪いほうのパターンを優先的に考慮したせいで、途切れた人間関係もあったかも。
これが生活の実務上のことや、無機的な問題であれば役に立つこともある。備えるのは大切なことだし、ときには自ら身を引くような損切りこそが必要なときもある。
でも当然のこととして、分かりもしない他人の気持ちを勝手に推定して、それをもとに自分の方針を決めようなんて、あまりにも無謀だ。それがお互いにとって大切な事柄なら、尚更ね
答え合わせとさっき書いたけれど、実際過去の僕が推測していた人の気持ちは稚拙そのもの、ほんとうに稚拙でしかなくて、事実とはかけ離れていた。
※注意:陳腐化させたくないので、これは惚れた腫れたのゴミクソカス恋愛の話をしているわけじゃないことは明記しておくね。なんで人と人が出てきたら異性愛者×2だと思うんだろうね、一億総カプ厨計画か?(この辺の苛立ちはスライド作ってプレゼンできる)
時間が経ったからこそ、素直に話せたし、なんなら不和もほどけたし、それ自体はポジティブなことだ。でもやっぱり、あのとき話さえしていれば、もっと違う道があったかもしれないのになと頭をよぎる。
そんなことを考えながらも、目先でまさに話すべき人たちとのやり取りも、たくさん取りこぼしているんだろうな
人間関係についてたくさん取り返しのつかない失敗をしてきて、そして今もしているけれど
突き詰めれば、あらゆる問題の根幹は丁寧なコミニケーションを取れたかどうかに収斂される気がする
そして、誰彼構わず丁寧に、大事にやりとりなんてできないから、最後は選ばなきゃダメなんだよな
みんなを大切にしようなんて顔、すればするほど気持ちが悪いし、できないことをあたかもできるポーズでいるのは紛れもなく不誠実だと思ってる
開き直ればいいわけではなくて、自分の適正なキャパシティは知っておくべきだし、その手に収まる人たちを大切にしたいね、という話
少なくとも、自分が誤解したまま生きてきたことが分かって、やっともう怒らなくても、悲しまなくてもいいんだと思えて、刺さっている針の一本を引き抜けたような気持ちでいる
まあ、不完全燃焼、というか未解決だったからこそ、断絶は避けたくて手を尽くした節はあるので
お互いに2枚ずつのペアを延々と捨てるフェーズも、淡々と手札を引き合う段階も、枚数ごと隠した手札をだらだらと引き合う時間も、ようやく終わって、
その決断をするのは自分だったらよいなあと思う
おわり!
あたらしい歌集選考会のために詠んだ未発表短歌たち、どっかで練り直して選考出したいね、、まだ拾ってもらえないかなって淡い期待もあるけれど!
結局誰にも見せてない かなしいような納得感もあるような
自分の人生を前に進めてくしかないね
おやすみなさい
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