見出し画像

他人に声を掛けられるオーラ


実は、昔から知らない人から声をかけられやすく、外に出ると必ずといっていいほど誰かに声を掛けられます。人に声を掛けられやすいオーラを持っているのでしょうか。

最近、驚いたのは、マスクに帽子(キャップ)を深く被り、サングラスまでしていたのにバスの中で肩を叩かれ停車駅を尋ねられました。バスには他にも乗客がたくさんいたのに………なぜ私。

自分で言うのもあれですが、私は年齢と服装が合っていないとよく言われるので(決して若作りしているわけではなく着たい服を着ているだけ)声を掛けやすいのかなと思ったり、それにしても不審者みたいな格好して、顔もわからない人に良く声を掛けられるなあと掛けられた側が驚いてしまうのですが………。

しかも、声を掛けてくる人はみんな70代くらいのおばあさんばかり。思えば、高校生の時もそうでした。高校の最寄り駅で、電車の停車駅を尋ねられたり、具合が悪くて早退した日、駅のベンチに座っていたら地方から観光に来たおばあさんがお菓子をくれたり、、、、、。

先日は、県内の有名観光地のベンチで友人と座っていてお喋りをしていたらいきなり知らない老夫婦が近くの駅はどこと尋ねてきました。その時もサングラスをしており、決して見た目は良くなかったのですが、、、。幸い以前周辺の施設でアルバイトをしていたこともあり、その地域の地図には詳しかったのですぐに案内はできましたし、友人もとても優しいのでその場ですぐにスマホで道を調べてくれたりしてwwwww

その他は、SNSでも声を掛けられる経験も何度もあります。しかもそれは外国人ばかり。アップした写真にコメントが来たり、いきなりDMが送られてきたり。日本語ではやり取りしないので、まあ勉強になるかと思って返信しちゃったり………。(気をつけないと)

言い出したら数えきれないほど、誰かに声を掛けられています。


他人に声をかけるって勇気がいる行動だと思うのですが、以前は普通にしていたことなのかなと思ったり。携帯電話が普及する前なんて、待ち合わせするのも掲示板とか、周りの人に聞きまわったりしないと会えないというし、今は減少してきた文化を味わえているということでしょうか。あとは、日本人の性格がそうしてしまっているような気もしなくもない。どこかで人に聞くより、自分で解決しようとかスマホで調べればいいかと思ってしまうところが現代人にはあります。(声かけてきたおばあさんたちは除く)

今月から独学でイタリア語の勉強を始めたのですが、イタリアではお店に入るときはお客さんから挨拶をしなければ失礼にあたると学びました。そして、午前と午後の挨拶を間違えると指摘されたり、、、挨拶文化って良いなと。声を掛け合うって大事。日本では、「こんにちは」とあまり言わないですよね。友達にも言わないし、知り合いの人くらいの間柄しか「こんにちは」って出てこないwwwww

思えば中国でも他人に声を掛けるのは当たり前の気がしました。やはり人口が多いこともあり、知らない土地へ行くときとかわからないとすぐ周りの人に聞くというイメージがあります。駅にいるだけで声を掛けたり掛け合ったり(私は中国人の友人と一緒にいたので)みんあで共有し合っているという感じがしました。


でも、声を掛けてくれることは嬉しいですよね。声を掛ける側は誰でもいいと思っているけど、それでも自分のことを選んでくれたわけですから。「あっ、私が選ばれたんだ」って思う。そして、可能な限りその人のために何かをしてあげて喜んでいただけるのであれば私自身も嬉しくなる。これからも些細なことではありますが、誰かのためになることをしてあげたいと思います。



最後までお読みいただきありがとうございました。


サポートで集めた費用はクリエイターとして、世界と日本を繋ぐ今後の活動費にさせていただきます☺️☺️