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「俺っ。神さまがいること分かっちゃったみたい!」

私の住んでいる東浦町は徳川家康の母、於大の方の育った町で、父、水野定守の墓がある。私も同じ水野で武士の子孫だと思いきや、どうもそうではなさそう。気弱でおとなしい。家の近くに越境寺があり、そこに隠れキリシタンの墓がある。私の先祖はこちらの様な気がしてならない。「あなたたちが隠れていたから、私も隠れてしまったじゃないか。」と言いたい気持ちです。けれども、あの時代の流れの中でも信仰を守り通した彼らは勇者であったのかもしれません。

私は姉より5歳離れた男の子だったのでとても大切にされました。いつまでも親に依存していたものですから、結婚してから随分と苦労しました。苦労したのは家内の方で3人の子どもを育てるとともに、私を改造しなければならなかったのです。

1つのエピソードは1人目の子どもが生まれ、家内が実家に帰っていた時のこと。蓄えも無くその月暮らしだったのにもかかわらず、仕事がえらいだけの理由で、私は会社に辞表を出して辞めてしまいました。辛抱の足らない人間です。それを知った私の父は実家にいる家内のところに電話して「どうしてトヨタを辞めさせたんだ。」と問い詰めたけど、家内は知らなかったと答えることもできません。「洋司さんがそう決めたのなら、主人についていきます。」と答えたそうです。その後、家内から電話で、会社を辞めたいならどうして私に相談してくれなかったの。と言われたのも当然です。父親になった自覚もあったものではなく、ほんとうに恥ずかしい話で情け無いです。女性は子どものため家庭のためには、実に強くなるのでした。離婚されてもおかしくはなかったです。

話しは戻って、一人前に働くようになりましたが、いつも人の目が気になりストレスを抱えていました。ひとりでいる方が気楽で、殻に閉じこもりがちで、対人恐怖症の一歩手前でした。自分に自信が無く、人の意見に流されて人と争わないで生きてきたので、そんな自分は好きではありませんでした。私が女性ならこんなウジウジした男はゴメンだと思っていました。

真面目な性格なので仕事は一生懸命に働きました。楽しみといったら、週末に行きつけのスナックでカラオケで歌うぐらいです。お酒に酔って家に帰ると、静けさに押し潰されそうになるので、部屋にはいつも音楽が流れていました。

23歳になった頃、会社にクリスチャンの人がいて、「夏の軽井沢でバイブルキャンプがあるので、いっしょに行きましょう。」と誘われました。初軽井沢か、いいなぁ、望遠鏡を持って行って星を見よう。買い物をしよう。気分はルンルンでしたが現実は違っていました。朝の9時から聖書のメッセージ、昼からはお庭でお菓子とコーヒーでディスカッション、夜の7時からはキリスト教の映画。バイクの青年たちがサハラ砂漠で遭難するが、神さまの不思議な助けで生還するやつ、おまけに私の部屋は集会室の隣で逃げられない。星が見たくても霞がかかって見えやしない。自由時間に高崎市までドライブしましたが、急いで帰る自分がいて、映画会なんかサボればいいのに、7時に椅子に座って映画を見ている自分に腹が立ちました。たまった鬱憤を次の日のディスカッションの時間にぶちまけてしまいました。

「自分の人生の大切な時に神に頼る主体性の無い弱い人たち、小さなことで泣いたり笑ったりする。皆さんはいいことがあったら神さまが恵んでくれた、思いがけないことがあったら神さまに試練が与えられたと言います。私にも同じようなことがあります、ただそれを神さまがしてくれた!と言うだけ、私と何が違うのでしょう、ただの思い込みの強い独り善がりのおめでたい人としか思えません。キリストは2000年も前の人、今ここで行きている私と何の関係があるのか?訳が分からない。罪と言われても真面目に行きてきたつもりです、あるのか無いのか分からない様な罪の話しをされても困ります。失敗もします、人に嫌な思いをさせてしまい、明日こそはもっと増しなりたい、と思いながらも一生懸命生きています。それに死んでからのことなんてどうでもいいです。これが正直な気持ちです。

けれども、この2ヶ月後に私がクリスチャンになっているとは夢にも思いませんでした。

その頃親友だと思っていた高校時代の友達と、ある出来事で関係が崩れてしまいました。・・・もちろん悪いのは私の方。俺ってなんて嫌な奴、深く自己嫌悪。

某自動車会社で働いていた私は仕事が生き甲斐になっていて、早く出世するためにトヨタのラインの仕事をすべて覚えました。職長からの信頼も得ていました。けれども、またある出来事で職長からの信頼を失うことになりました。「お前がそんな奴だと思わんかった」それで終わりました。私の無知でしたことで悪気はこれっぽっちもなかった。言い訳もしないため、分かってもらえない悔しさがいつまでも残りやりきれなかったです。

これらの出来事があって以来、心にポッカリ穴が空いた様で毎日を惰性で過ごしていました。気が付くと左右に首を振っていました。まるで「ちがう、ちがう、そうじゃ、そうじゃない」と、心のなかでいつも言い訳をしているようで、心が休まることはありませんでした。この2ヶ月、いろいろな出来事があってキャンプの時に意気込んでいた私は何処にもありませんでした、見事に砕かれて心は粉々になっていました。生きることさえ煩わしくなって誰とも遊ばなくなって1ヶ月。もうダメかもしれない!・・・


10月17日、その日は金曜日、仕事が終わり更衣室で着替えて扉を開けるときのこと、立ち止まり「神さま!」呟いたような、祈りをしました。

その時、心の中にある思いが浮かびました。「私は何もかも 分かっている。安心しなさい。私がいるから。だいじょうぶ!」突如、私の心の中に入ってきた思い。これは、神さまだ。と何の疑いもなく信じれたのです。暖かくつつまれているような平安が心のなかにありました。家に帰る途中、天を見上げて泣けてきました。心の中にポッカリ空いた穴には、神さまが聖霊として住まわれていることをはっきりと認めることができる、私とともにいる。語り得ぬ心の隅々までを理解し、ありのままの私を抱きしめて離さない、あたたかな命の造り主だったのです。

次の日曜日、初めて教会に行きました。「俺っ、神さまがいること。分かっちゃったみたいです!」と言ったら、皆さん泣いて喜んで下さいました。

以前キャンプでクリスチャンの人たちに、あなたたちは思い込みの強い独り善がりのおめでたい人たち。と言いましたが、確かに神さまは聖書のことばで私に必要なことを語って下さるし、聖霊の語りかけによって愛することを教えて下さる。新興宗教に有りがちな、洗脳、と言われているたぐいのものとは異質で、心の良心と偽りのない愛に沿ったものであることはすぐに識別できます。クリスチャンとは、神さまを愛し隣人を愛するために、イエス様とともに生きる人だと初めて知りました。

救い主イエスキリストを信じる信仰によって救われる。キリストが十字架で流された血によって救われる。人種も環境も違っても、努力やお金ではない、人間的には皆同じラインです、ただ恵みによって、信仰によって救われる。すべての人に平等に死が訪れるように、救いも信仰によって平等に与えられているのです。

「主を求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。彼らの叫びを聞いて救われる」詩篇145-18,19

この聖書のことばのように私は救われたのです、AD33年キリストは十字架の上で死なれ、墓に葬られそして3日後によみがえられた、2000年時を超えて今も生きておられます。だから祈りもきかれるし、語っても下さる。信じているよりも、知っている。人が私をどう思うか、は小さなことになりました。神さまに喜んでいただく生活をする。それがベースになりました。失敗をして罪を犯しても、すぐに告白して赦していただけるようになりました。高校の友達とも和解することができました。感謝です。

罪とは、神さまに愛されているのにその愛と十字架による罪の赦しを拒むこと、罪が赦されたことで、たとえ今死んだとしても天国へ行くことのできる救いをいただいている、ですから「死」は怖くないです。その時が訪れた時にこれが、ハッタリ、ではないことを確信すると思います。キリストに出会えたその日以来、新しく生まれ変わったような不思議な感覚で、見るもの全てが輝いて見えるようです。そして当たり前のことに感動するようになりました。

あの日から、随分年月が過ぎました。毎週子ども、孫たちと教会に通う日々はしあわせの一語に尽きます。

こんな長い文章をここまで読んで下さり嬉しい限りです。この世界に神さまが存在することは分かるけど、何故それがキリスト教の神様になるのか?と思われると想像しますが、聖書を読むと解決します。いままで探していた大切な「何か」を発見することができると思います。ぜひ一度キリスト教会に行ってみてください。

                                               水野 洋司





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