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わたしのなかの “さくら”

群馬の実家の目の前は「桜木通り」という名の通り、春になれば街路樹に等間隔で並んだ桜の木が花を咲かせ、小学校、中学校、高校…と、その下を歩き、自転車に乗り登校していました。

当時は何も考えずに、何となく「あっ咲いてる」くらいにしか思っていませんでした。恋人と下校途中に自転車をこぎながら「見て!桜!すごい綺麗!」と言われたとて「ほんとだ!綺麗だね」とは答えるものの、心の中では全く別のことを考えたり、時に思春期特有の下心に「桜」の存在はかき消されることもありました。なんならつい数年前まで同じ感覚で過ごしていたかもしれません。

靖国神社の桜と、たぶん梅の木

思い返せば、小学生の頃に美術の授業や春の写生大会で描く「ぼくの桜」決まって花はピンク色で、幹は茶色、太い幹からだんだん細く枝分かれして、、、先の方にピンク色をチョンチョン、、、。周りのみんなも同じように描いていたし、それが自分の中の「桜」であり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

34歳になった今、
そして今日、会社の年金と保険料金の支払いをするべく外を歩いていました。郵便局が移転してしまったせいで、いつもより少し長いお散歩時間。

支払いを終えて、朝から何も食べていなかったので、コンビニで買ったサンドイッチを、はじめましての公園のベンチに座って食べていました。

公園のベンチに座ったのはいつぶりだろうか?なんて考えながら、空を眺めたり、空を眺めたり、そしてまた空を眺めたりしていました。

その公園の周りには一面の桜の木が花を咲かせていました。今まで人生の中で「お花見」であったり、「カメラマンとしての桜」は幾度となくあったけれども、こうやって1人でのんびり桜を見るのは初めてかもしれないな、と、34歳にして、初めてひとりでのんびりと、じーっと桜を見つめました。

桜の花は思っていたよりも白く、
ただそれはいわゆる白ではなくて、

枝木や幹は思っていたよりも暗い色で、
茶色でもなく黒くもなく、

枝木の先は細く、
緩やかな風でもふわふわと揺らいでいて、

どっしりと構えた幹はどこまで深く根を伸ばしているんだろうか?

そんな木が等間隔に並んでいて、
遠くから見ても、近くから見ても、
まとまりがあるように見える、

そしてそれを眺めたり写真を撮ったりしている人がいる、そして自分もまたその1人

みんなはインスタにあげたり、
家族に写真を送ったりするのかな?

桜の木の樹齢はだいたい50年から70年、
日本にある最古の桜は樹齢約2000年

2000年前の人は桜をどう見ていたのかな、
戦火の中で桜はどうあったのかな、

長い歴史の中で、きっとどの時代にも、
この桜の木を植えて、枝を整えて、
知り得ない自分以外の誰かを思って守ってきた人がいたのだと感じました。

今の社会が良いのか
10年後はもっと良いのか悪いのか

どんな時代になっても
苦しみで春を迎え見逃してしまう桜も
大切な人と共に見る桜も
新生活の門出を祝う桜も
サンドイッチを食べながら見る桜も

時代を経て、誰かを想う気持ちが繋いできた「桜」なんだ。

その気持ちに応えるかのように、毎年決まって「桜」は花を咲かせて、季節と人と時代をつないでいくんだな

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